集中講義出席確認(2)
受講生の皆さんへ
○毎回のレポートを全部出していない人が何人かいるのですが、もうだいたいの評価は決まっているので、もし、次のような追加レポートを出せば、評価が上がる可能性のある人だけに連絡します。
のりながさん 4日、5日、11日のレポートが未提出。皆さんの11日の最終発表の原稿を、このブログで読んで、全部の感想を出したら、評価が上がるかもしれない。
ばきんさん 免田事件について、ウィキペディアだけを資料にしているのは弱い。それ以外の資料(ウィキペディアに引用されているものでもよい)を読んで追加すれば、評価が上がるかもしれない。
ひろたりさん 資料に用いた本を直接読んでいないのが弱い。その中のどれか、もしくはその他の同種の本を一冊読んで感想を提出すれば、評価が上がるかもしれない。
あくまでも、「かもしれない」です。上がるとは限りません。
今のままでも、単位は取れています。
○以下は、皆さんが提出した、最終発表の評価の一部です。全部は載せられそうにないので、私もおおむね同感のものや、逆に、それは私も気づかなかったということを書いているものなどを、いくつか選んで紹介しておきます。ここにあげたものをはじめとした、そうした評価については、わずかながら加点の対象としています。詳しい採点基準は、成績提出後に表示します。
誰の発表に対する評価かわからないものもあると思いますが、参考にして下さい。これらを読んだ上で、自分の発表を訂正補充して再提出する人は7月31日までにお願いします。再提出しても評価が上がるとは限りません。下がることはありません。
「言っていることの整合性はあったが、すべて講義で板坂先生が仰っていたことであるため、考察の新鮮味、オリジナリティに欠けていた。」
「この新美南吉の物語を聞いて面白いと感じたのは、春吉の話は春吉の視点で語られており、石太郎の心情が描かれていない点である。「予期せぬぬれぎぬ」を着せてしまった側の視点で物語が進行することはなかなかないように思ったので興味深かった。」
「せっかく底本、初出情報まで書かれているので、題材の題名、先行研究の情報なども表記すると、より説得力のある発表になったと感じました。」
「お互いにより幸せな方法を考え、本当の幸せについて考えるべきだというのは、すごく納得しました。
しかし、手品師の自己犠牲の精神によって夢の大劇場ではなく、男の子との約束を優先した、と資料にも書かれていますが、これは、発表者さんの中で自然と「男の子との約束<大劇場」という認識がなされていたのかな、と考えました。本当に手品師の中で男の子との約束を大事にしたいという意識であったなら「自己犠牲」という言葉は少し違和感を覚える言い方のような気がしました。」
「また、類似した作品として「泣いた赤鬼」を挙げられていましたが、この作品は明らかに相手のために自分が周囲から悪い立場で見られますが、この「手品師」という教材は、あくまで本人の選択にとどまる気がしました。」
「既にぬれぎぬが拡散している場合、何が真実で何が虚構なのか見抜く術はないため、暴露本が売れたとしても「ぬれぎぬ」は晴らせない。という結論は至極最もではあるが、本の内容には一切触れていないこと、実際読んでもいないことが少し残念だったように思う。例として挙げるのであれば、その内容について考察すべきであって、結論自体は読まずとも言えることなので、あまり考察として成り立っていないと感じた。」
「「松本サリン事件」「足利事件」「氷見事件」などの現実の冤罪事件を取り上げていた。
事件の概要を説明し、「冤罪の被害者の辛さはわからないが、私は絶対に無実を訴え続ける」というまとめになっており、それでは考察が少し浅いのではないかと思った。」
「わたしは青おにはやさしいという視点で読んでいたので、赤おにの今後を考えると不憫であるという視点がおもしろいと思った。覚悟のぬれぎぬには各々の価値観が絡んでくるため、思いやりでやるにはより良い方法を考えることも大切であると思った。」
「いくつかの教科書を比較しているのがすごいと思った。人々は発達の段階でぬれぎぬを覚えていくというところが印象的だった。国語教材以外でのぬれぎぬは確実に間違いであるため、国語は本当に特別な科目であると考えた。」
「少しでも心当たりがあると自分自身でも混乱して難しくなってしまうのがぬれぎぬの特性であるように感じた。前半は典型的なぬれぎぬだが、つくるが完全に被害者であると認識していない感じが切ないと思った。」
「民意のことについて話されていたが、怖いのは膨れ上がった民意という言葉は、納得いかない。」
「濡れ衣ではなく、バイキンマンがたまたまいいことをしたという話のような気がした。」
「村上春樹の作品は2つほど読んだことがあるが、難解な文章が多く読んでも意味がいまいちわからないことが多く敬遠してきた部分があった。しかし、あらすじを聞くと少し読みたくなった。癖の強い村上作品にも濡れ衣が使用されているということに驚いた。だが、使い方がシンプルな使い方ではなく違った面白い使い方をしているのがやはり村上春樹だと思った。」
「久作が濡れ衣を着せられており、しかも弁明の余地があったのだが、していない点に、天皇制に対する批判的な評価を含んでいるという考え方は非常に面白いと思った。天皇制を批判するところに濡れ衣を織り交ぜることで、複雑化しながらも批判に成功しているというあまり見ない作品だと思う。また、最後の久作の自殺が物語としての後味の悪さを作り出している。私はこの後味の悪さは嫌いではない。天皇制の批判をテーマに入れているとしたらこのラストはむしろ良いのではないかと思う。」
「「最終的に登場人物をどのように描いて終わるか」という視点が自分にはなく、なるほどと感じた。ただ、個人的には、先生もおっしゃっていたように、特異な作品ではなく典型的なぬれぎぬ作品だと感じた。」
「『ぬれぎぬと文学2018』の冒頭で『源氏物語』に印象的なぬれぎぬのシーンはないと述べているのに、あえて『源氏物語』を取り上げている点がチャレンジャーだと感じた。」
「「もし、「ぬれぎぬ」を着せられてしまったとき、あなたは“暴露本”を書きますか。」という一文が素敵だと感じた。ぬれぎぬというテーマを暴露本に結びつける発想がとても面白いと思う。しかし、本を読んだわけではないとのことだったので、それを他者に発信するということは、少しどうなんだろうと感じてしまった。」
「内容というよりは手段について疑問がいくつかある。アンパンマンの中でも特に48話を取り上げられていて、なぜ48話を知ったのか気になった。また、実際に視聴されているのも、たまたま再放送があったのかDVDを借りられたのか、経緯が気になった。」