2020年前期集中講義(10)
第四日目に口頭発表する、④の資料です。
もしかしたら、お休みになる可能性もあるのですが、皆さん読んでいて下さい。
?私は福田ますみの『でっちあげ』というノンフィクションドキュメントを取り上げて、濡れ衣について思うことを考察する。まずはこの本の概要を説明する。?
?2003年福岡市で、全国の教育委員会で初めて「教師によるいじめ」と認定される体罰事件が起きた。ひとりの小学校教諭が、担任の児童を執拗にいじめ続けたという。児童の曽祖父がアメリカ人であることを聞いた際には「血が穢れている」などの人種差別発言を行い、日常的に「早く死ね、自分で死ね」「死に方教えたろうか」などと恫喝していた。教諭からの体罰や言葉の暴力によって、その児童はPTSDと診断され、長期入院に追い込まれてしまった。?
?両親からの訴えは、息子を守ろうとする必死さに溢れ、学校、教育委員会とも非を認め、教師に謝罪させている。そして福岡市教育委員会は、教諭を停職6か月の懲戒処分とし、「教師によるいじめ」を全国で初めて認定した事件とされた。?
?この事件をマスコミはこぞって報道。児童の両親の証言を鵜呑みにし、ついには「殺人教師」との見出しで実名まで報じられた。?
?しかしこの事件は、周囲を混乱させるモンスターペアレントによる「でっちあげ」の物語であったことが判明。教諭は冤罪であると同時に、凄まじい濡れ衣を着せられていたのだった。?
?事件は裁判を重ね、2013年、福岡市教育委員会は「いじめ」の事実は認められないとして、教師の懲戒処分を取り消した。実際には児童にアメリカ人の曽祖父はおらず、母親による虚言であった。また体罰や言葉の暴力も両親によるでっちあげ。医者は児童本人に症状が見られないにもかかわらず、母親の話だけでPTSDと診断したのだった。様々な証拠のない物語が膨張し、10年に渡って教諭を苦しめることとなったのだ。?
?この本を読んで、なにより現実はドラマや文学よりずっと恐ろしいものだと感じた。そして「濡れ衣」はいつ自分の身に着せられてもおかしくない身近なものだと実感した。?
?現実、マスコミの報道は過激化しているものが多いと思う。芸能人のスキャンダルにしても、そこまで報道しなければならないのか?と感じるものもある。教員の不祥事もすぐに取り上げられる世の中である。この本の事件のように、マスコミの報道全てが真実とは限らない。中には「濡れ衣」を着せられ苦しんでいる人が存在するかもしれない。ドラマや文学ではハッピーエンドを迎えることの多い「濡れ衣」だが、現実では真実を暴くことは難しい。そう簡単に、助け舟は現れない。「濡れ衣」はフィクションであるからこそ、私たちをドキドキさせ時には快感をもたらすものであると私は考える。「濡れ衣」を着せられてよいのは、ドラマや文学のなかの登場人物に限るのではないか。私たちは日々の生活の中で、「濡れ衣」によって苦しむ人を生み出さないように、自分が信じるものは何なのか、社会に流されない強い芯を持つべきだと感じた。?