2020年前期集中講義(11)
第四日の5限に発表予定の、③の発表資料です。受講生の皆さん、目を通しておいて下さい。
一谷嫩軍記・熊谷陣屋
いちのたにふたばぐんき・くまがいじんや
◯概要
『一谷嫩軍記』は全五段の浄瑠璃で、『平家物語』の世界を脚色した物語。全体としては、平時忠が源氏方を内部から崩壊させようと企み、それを義経と家来たちがうまく切り抜けていく話。歌舞伎では三段目の切にあたる「熊谷陣屋」が頻繁に上演される。(?歌舞伎on the web)
◯主な登場人物
・源義経に仕える武者 熊谷次郎直実
・熊谷直実の妻 相模
・平敦盛の妻 藤の方
◯内容
1184年、源平合戦の頃の話
源氏方の武将、熊谷直実は一谷の合戦に出ている。陣屋には、故郷武蔵国から直実の妻相模が訪ねてくる。初陣の息子小次郎が気がかりでならず、はるばるやって来たのだ。そこへ敵方の平敦盛の母藤の方も迷い込んできた。藤の方と相模はその昔主従の間柄だった。藤の方はかつて熊谷と相模の禁断の恋を許した恩人でもある。十六年ぶりに再会した二人だが、今は敵味方となってしまった。
そこへ沈痛な面持ちの熊谷が帰ってくる。実は、須磨浦で藤の方の息子敦盛を討ち果たしていたのだ。それを知って斬りかかる藤の方に対し直実は、立派だった敦盛の最期をていねいに物語る。
陣屋で待っていた義経が首実検を行う。いざその首を見て相模は眼を疑った。首は敦盛ではなく、小次郎のものだったからだ。しかし義経は「敦盛に間違いない」と言う。実は、敦盛の本当の父親は後白河天皇であった。皇族の血を絶やさんとする義経は、敦盛の命を助けよと熊谷に暗に命じていたのだ。それにこたえるため、熊谷は同じ年頃の息子小次郎の首を身替りにしたのだった。半狂乱で駆け寄る母親の相模。驚いて近寄ろうとする藤の方。
子を失い、生きる意味を失った人生に失望し、髪を剃り落して出家の意思を明らかにする。小次郎が生まれてからの十六年の月日が夢のように思われるとつぶやきながら、戦場を離れていった。
◯人間離れ、人間らしさ
合戦の中で、様々な戦略や対策、裏切りがあるのは当然のこと。しかしひとりひとりの人間模様に着目すると、この話は非常に残酷である。“世間には、熊谷が敦盛を討ったと知らされる。しかし実際は、敦盛でなく、実の息子を自身の手で殺めて身替りにしてしまった。” このジレンマを一生背負い続けるということが、「覚悟のぬれぎぬ」に値するのではないか。
本当に行動に移すかの決定権は熊谷にあったことから、「熊谷自ら「覚悟のぬれぎぬ」を被った」と捉える。熊谷はどんな気持ちで主君義経の命に頷き、息子の首を討ったのか。心の激動と覚悟の重みは、簡単に想像などできない。この後味の悪さと、登場人物の強大な精神力が共存するところに「覚悟のぬれぎぬ」の魅力があると思った。
この講義の初め、大半の人は良いイメージを抱いてはいなかっただろう。その時思い浮かんだものが、誰かにぬれぎぬを着せられて苦労する作品ばかりだったからだ。しかし昨日の講義を経て、ぬれぎぬとは、誰かに着せられる理不尽なものだけを指すのではない、と知った。
手を汚し、自分の価値を下げてまで、誰かを庇い、守るために、自ら被るぬれぎぬ。
しかし言葉ほど綺麗事ではない。その覚悟の先に明るい未来があるとも限らない。
それでもあなたのために、今自分にできる最大の行動を起こす。
それほど重すぎる判断を下す未来が、我々に簡単に訪れるとも思えない。それでも、強烈に、そのまさかの未来を考えるきっかけを「覚悟のぬれぎぬ」が与えてくれた。
自分がどう立ち振る舞うべきなのか、納得できる答えに近づくために、今後も様々な作品を探していきたい。