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2020年度前期集中講義発表資料⑮

(発表資料が届いています。皆さん読んでおいて下さい。)

〇「ぬれぎぬ」の「憎い」を超える「好き」

はじめに日常にありそうな「ぬれぎぬ」について紹介します。柳美里の『自選作品集 第二巻 家族の再演』(ベストセラーズ、2018年)の中に、次のような会話文があります。

 

 

「ほとんど外食だね。家では眠るだけ。だんだん家の中の自分の居場所が狭くなるよ。冷蔵庫ね、俺が食べていいものが置かれてるの、一段だけ……他の段は女房と三人の娘の食料でね、ナタデココやらヨーグルトやらが並んでるんだよ。今朝、娘に怒られちゃった。お父さん、あたしのオレンジジュース飲んだでしょって……濡れ衣なんだけどなぁ……いくらいっても信じてくれないんだ」

 

 

これは、娘に「オレンジジュースを飲んだ」というあらぬ疑いをかけられる「ぬれぎぬ」です。皆さんも、特に思春期の娘さん方は、お父さんに「ぬれぎぬ」を着せてしまっているということはないでしょうか。私もバイト中に誰がやったかわからないミスを見つけたとき、たぶんあいつだろうな…と疑ってしまうときがあります。この推測が間違っていたら、私は「ぬれぎぬ」を着せてしまっていますよね。これはどちらも「憎い」ですね。このように、思い返してみれば、世界は「ぬれぎぬ」にあふれています。

ここで、少し考えてほしいのですが、「ぬれぎぬ」は、どのような相手に着せやすいでしょうか。まったく知らない人?親しい人?私が考えついた「ぬれぎぬ」の例では、性格や行動パターンを知っている人の行動を予測して、あいつならやりかねないと思う(仮に「あいつならやりかねない型」としましょう)、もしくは、ある言葉や物的証拠から判断してそう予測するけど、実際には「ぬれぎぬ」を着せてしまっている(仮に「予測失敗予期せぬ型」としましょう)、ということが多かったです。

今からお話しするのは、「ぬれぎぬ」を着せる側の視点で、登場人物の気持ちが関係してきます。私が先ほどお話したのは前者の「あいつならやりかねない型」ですが、これから取り上げる樋口一葉の「たけくらべ」は、ぬれぎぬ…か?という描写が登場しますが、私が読んでみて、「ぬれぎぬ」だ!と思ったので、「ぬれぎぬ」だということで勘弁してください。

とりあえず、「たけくらべ」のあらすじを簡単に説明しましょう。というか、素晴らしい作品ですので、皆さん読んでいただきたいと思いますから、すべてではなく、関連する部分をピックアップしてお話したいと思います。

まず、主な登場人物は、「美登利」「藤本信如」「正太郎」「長吉」「三五郎」の5人です。以下に、それぞれの性格や住んでいる町などを軽く記しておきます。

・美登利→14歳。勝ち気な性格で、遊女の姉をもつ。信如に思いをよせている。表町に住む。

・信如→15歳。龍華寺の跡取り息子で、学力は高いが、ひっこみじあんな性格。横町に住む。

・正太郎→親が表町で金貸しを営んでいるため裕福である。美登利に思いをよせている。

・長吉→16歳。横町のリーダー。表町に対して、ライバル心をもっている。横町に住む。

・三五郎→横町に住んでいるため、長吉にも頭があがらず、家が金貸しである正太郎の家からもお金をかりているため、正太郎にも頭があがらない。そこで板挟み状態。

以下は、今回取り上げる場面の簡単なあらすじです。

「たけくらべ」の舞台は吉原、美登利には遊女の姉がいます。美登利・正太郎は表町に住み、信如・長吉・三五郎は横町に住んでいます。子どもたちには町どうしの対立があります。ある祭りの日、横町の長吉は、表町の正太郎を十数人で襲撃しようとたくらみます。長吉は、暴力ではなんとか勝てると思いますが、学力では勝てないと思い、学力がある信如に後ろ盾になってくれるよう頼みます。気が進まないものの、信如は何もしなくていいと言われ、義理から了承する形になります。しかし、実際に襲撃を受けたのは、三五郎でした。そこに出くわし、三五郎をかばった美登利は長吉から泥草履を顔に投げつけられてしまいます。長吉は立ち去り際に、「ざまを見ろ、此方には龍華寺の藤本がついて居るぞ、仕かへしには何時でも来い、薄馬鹿野郎め、弱虫め、腰ぬけの活地なしめ、帰りには待伏せする、横町の闇に気をつけろ」(本文引用)と捨て台詞を吐きます。この捨て台詞を聞いて、美登利は好きであるはずの信如のことを、すごく嫌な人だと言うようになります。正太郎への襲撃のつもりだったのに、三五郎を襲撃し、何もしていない信如は嫌な人だ(憎い)というレッテルを美登利から貼られてしまいます。承諾しただけの信如が黒幕としての「ぬれぎぬ」を着せられます。しかし、美登利からの信如への恋心が消えるわけではなく、この後も、信如のために行動するお話もあります。(現代でいうツンデレでしょうか)

このお話から分かることは、たとえ、「ぬれぎぬ」で嫌な「憎い」というイメージをもっても、「好き」という気持ちには勝てない、ということでしょう。授業で扱った「ぬれぎぬ」は、結構過激なお話が多かったですね。「たけくらべ」では、人が死ぬことはありません。むしろ、美登利にとって、嫌な「憎い」相手になったはずの信如のことを、美登利は最後まで「好き」なわけです。現代でも、「好き」という気持ちがあれば何でもできる、何でも許せちゃうという方がいますよね。美登利と信如はお互いに思い合いながらも、最後まで思いを伝え合うことなく、もしかしたら、美登利の中では黒幕としての「ぬれぎぬ」を着せられたままの信如がいるかもしれません。しかし、それを超える「好き」が溢れて止まらないんですね。残念ながら、ハッピーエンドにはなりませんが、お互いに幸せになってほしいですね。

冒頭で述べたお父さんのお話、娘さん方はきっと本当はお父さんのことが「好き」な気持ちは捨てきれていませんよね。恋心とは少し違うかもしれませんが、「家族愛」というところでしょうか。大切にしていきたいものです。

【参考資料】

・板坂耀子『ぬれぎぬと文学 2018』花書院、2018年

・川上未映子訳『日本文学全集13』河出書房新社、2015年初版

・北田幸恵編『日本女性文学全集 第2巻』六花出版、2008年初版、2018年復刻版

 

※本文引用は『日本女性文学全集 第2巻』による。

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カツジ猫