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2021年「古典文学講義A」のレポート(2)

【漁師とその妻について】

漁師とその妻は、グリム兄弟が1812年に書いた19番目の童話である。

あらすじは、便所のような海の近くのあばら家に住んでいる漁師が、ヒラメを釣り上げる。すると、そのヒラメは「私は魔法をかけられた王子だ。逃がしてくれ」と漁師に話しかける。ヒラメを逃がした漁師は、そのことを奥さんに話す。すると奥さんは、そのヒラメになにか願うべきだったと言い漁師を再び海に向かわせる。海で漁師がヒラメに立派な家を願うと、ヒラメはその願いをかなえてくれる。ヒラメが願いをかなえてくれたことで、城がほしい、王様になりたい、皇帝になりたい、法皇になりたいとどんどん望みが大きくなりそのたび夫はヒラメに妻の願いを伝えに行く。毎回ヒラメも願いをかなえてくれるが、最後妻が神になって月や太陽を昇らせられるようになりたいと願ったとき、とうとう妻の願いは聞き入れられず、漁師と妻の住まいは便所のようなあばら家に戻ってしまう。

という話である。話によっては、オチで妻が自分の起こしたあやまちに気付き夫に許しを請う。漁師は妻を許し、妻に「お互いの愛があればそれで充分だ」と言い終わる。

【漁師とその妻に類似した話】

類似した話に、ドイツが舞台の「Hanns Dudeldee」ロシアが舞台の「The Old Man,His Wife,and the Fish」日本が舞台の「The stonecutter」などがある。

「Hanns Dudeldee」は、漁師とその妻とほぼ同じ内容で怠け者だったハンス・デュードルディーが湖で魚をおびき寄せるように呼び掛けると、なんでも願いをかなえてくれる魚が現れる。その後は、漁師とその妻の話と同じく神になりたいと願うと全てが貧乏だったころに戻ってしまう。

「The Old Man,His Wife,and the Fish」は、おじいさんが捕まえた金色の魚が私を逃がしてくれれば望みをかなえるという。その後は同じく、パン、城、女帝と望みがエスカレートしていき、最後は「すべての海と魚を支配できるようになりたい」 と願うと、すべてがもとに戻ってしまう。

「The stonecutter」は、ある無欲な真面目な石工の男が、ある日金持ちの家に墓石を運んだ際に夢にも思わないような美しいものを目にし、突然毎日の仕事が辛くなってしまう。その時つぶやいた「きぬのカーテンと金の房のついたベッドで眠れたらどれほど幸せだろう」という願いが山の精霊に届き、お金持ちになる。すると男は今までの仕事が馬鹿らしくなってしまう。あるとき、日差しが強くとても暑い日に家で暇を持て余していると、近くを召使が傘を差した王子様一行が通りすぎ、それを見た男は「私が王子だったらなぁ」と願うとこれもまた叶えられる。しかし、草に水をかけても草が太陽の光で焦がされ、傘を差しても顔が茶色く日焼けすることに怒り、「私が太陽だったらなぁ」と言うと、男は太陽になる。太陽になったものの、雲が太陽を隠してしまい、石工はまた怒りに任せて「私が雲だったらなあ」と叫ぶと、男の姿は雲にかわる。男は大雨を何週間も降らせたが、岩を壊せないことに驚き、「私が岩だったらなあ」というと、男の姿は岩にかわる。岩になり最高だと思いながら過ごしていると、石工が岩に道具を打ち込んでおり、岩になった男が地面に落ちて割れてしまった。男は「私が人間だったらなぁ」と言うと、男は人間に戻される。そうして人間に戻った男は、他の何かや、誰かになりたい、人より大きくなりたいと思わなくなったので、貧しいながらも最後は幸せになった。という話である。この話は、上の話とは違い、最後に男は欲を捨て、幸せになっている。

「Hanns Dudeldee」は1809年、「The Old Man,His Wife,and the Fish」は1890年、「The stonecutter」1903年に書かれており、近い年代で不満と欲の話が書かれていることがわかる。

【おわりに】

  以上のような、大きくなっていく欲望を不思議な力を持つ者が無条件に叶え、最後に元に戻されるような話は私が調べた中では、日本に類似した話はなかった。

「The stonecutter」を除いて神(に近い力を持つ者)になりたいと願うと全てが元に戻ると言うのは、イカロスの翼の話やバベルの塔の話のように神に近づこうとすると罰されるというキリスト教的な考えもテーマとして扱われていると私は考えた。日本に類似した話が無いのは、キリスト教が根付いていない事が関係あるのではないだろうか。

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カツジ猫