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2021年「古典文学講義A」のレポート(1)

【「花咲かじいさん」について】

 講義を通して「花咲かじいさん」の内容について意見が分かれたことが特に印象に残っていたため、今回のレポートでは「花咲かじいさん」の歴史について調べることとした。調べを進めていくと、「花咲かじいさん」には、その元となったとされている話があるということがわかった。その話の名前は「雁取爺」というものである。柳田國男はこの「雁取爺」について以下のように述べている。

花咲爺の分布が著しく中央部に偏し、地方の端々の之に代るべきものが、この雁取爺のやうな衣装をつけてあるいて居るといふことは、後者の資力がまだ童兒の爲に、特別の説話を仕立てゝ給するまでの餘裕を有たなかつた爲とも解せられる。(中略)物を改める力は都會の方が強い。田舎は律儀で保守的であるだけで無く、思ひ切った改良をするだけの資材も乏しく、主として中央からの感化によって、やゝ時遅れてから動いて居たので、その何れの點から見ても足跡は尋ねやすい。

   『昔話と文學』柳田國男 創元社 1938年12月 p.111

柳田國男は「雁取爺」が日本列島の南北に分布している(特に東北地方、また鳥取や鹿児島)ことから、これが「花咲かじいさん」の基盤となった話である可能性が高いと考えている。また田舎の方が元の話が残りやすいという点からもその説を主張していることがわかる。「雁取爺」の話が「花咲かじいさん」とどこに共通点があるのか、その話の内容で特に重要となるのは最後の灰をまく場面である。「雁取爺」の最後はだいたいこうである。

  おじいさんは犬の灰をもち屋根に上がり、「雁の目に灰入れ」「じさま(おじいさん)の目に灰入るな」と叫んで灰をまいた。すると飛んでいた雁の目に灰が入り、何羽かが地面に落ちてきた。下ではおばあさんが落ちてきた雁を棒で叩き雁汁を作って食べた。それを聞いた隣のおじいさんは同じように真似をするも、灰が自分の目に入って屋根から落ちてしまい、同じく灰が目に入ったおばあさんに雁と勘違いされたことから叩き殺されてしまった。

 このように「雁取爺」の話は終わりを迎えるのだが、かなり残酷な話となっている。もちろん結末部分以外でも「花咲かじいさん」と共通点・相違点があるが、「雁取爺」も様々な展開の話があり、おおよそ共通する部分はこの最後の部分であるため、ここを中心に考えると、確かに「灰をまく」という点に至っては「花咲かじいさん」の元となっている可能性があると考えられる。

 「花咲かじいさん」の元の話とされている「雁取爺」について確認した上で、現在「花咲かじいさん」は日本全国でどのように語られているのかについて調べた。調べてみると、まずおじいさんの飼い犬の登場の仕方から地方によって異なることがわかった。「犬が箱や木の根、果実(桃、など)に入って、あるいはそのまま川を流れてくるという出現譚は、主に東日本を中心に伝承されてきた。西日本では、お爺さんが海の神から犬(もしくは猫、鶏、亀)をもらったとされることが多い」(古川、2016、p.62)とあるように、おじいさんが犬をもともと飼っていたのでは無く、おじいさんと出会うという場面が設定されている話があり、さらに東西でその内容が異なっている。また、「花咲かじいさん」の物語において「ここ掘れ、ワンワン」という言葉は有名であるが、犬が他の方法で財宝を発見する、という話もあることがわかった。

全国各地には、犬の活躍をそれとは異なるかたちで語っている話も多くある。その代表的なものの一つは、犬が体から大便として黄金や銭を出すという物である。(中略)花咲爺さんの犬に金を排出させるためには、鳥取の話のように毎日一定の量の食べ物を与えることを条件とする例が多い。これは犬が富を排泄するタイプの話に特有の要素だが、「ここ掘れ、ワンワン」といって宝を掘らせる場合にもこの条件がつく例を各地にみることができる。このことは、富を排泄するかたちから、宝を掘らせるかたちへと変化していった過程があったことを示している。花咲爺さんの犬は、山で不思議な狩りをしてたくさんの獲物をもたらしたと語られることも多い。(中略)富を排泄する話形が、新潟、石川、愛知、和歌山、中国・四国地方、九州、沖縄にみられるのに対し、狩りをする話形は、東北、中国地方、九州に分布する。中国、九州地方では両話形が共存しており、都市部を中心に分布する「ここ掘れ、ワンワン」のかたちよりも、ともに古いかたちを伝えているものと思われる。

『昔ばなしの謎 あの世とこの世の神話学』古川のり子 

角川文庫 2016年9月 p.63〜p.66

この考察においても、柳田邦夫が述べていた「田舎の方が古い形のものが残っている」という考えを元に、「ここ掘れ、ワンワン」が比較的新しい展開であることを示している。また、もう一つ比較的新しいと考えられる要素がある。それは臼をつくという場面にある。

犬は正直爺さんには富をもたらすが、隣りの爺さんには汚物やガラクタをもたらしたので、殺されて埋められ、その死体から植物が生えてくる。この部分に関しては全国でほぼ共通している。犬の死体から生えてくる植物は、たいてい松、榎、コメの木、竹などの樹木、蜜柑、橙、梨、柿などの果樹となっている例も多いことが特徴である。今日よく知られた話形では、犬の墓に挿した木が急速に成長したので、お爺さんそれを伐り、臼をつくってつくと大判小判が出たという。このようなかたちは都市部を中心に伝承され、犬が宝を掘らせる話形と同様に、比較的新しく成立したものであろう。全国各地で多く語り伝えられているのは、犬の死体から生えた木がその豊かな実り(金銀、小判、米、果実)によって飼い主を豊かにしたとするものである。

『昔ばなしの謎 あの世とこの世の神話学』古川のり子 

角川文庫 2016年9月 p.67,p.68

ここでも、同じようにやはり都市において多く伝承されていることから、比較的新しいものであると考察されている。比較的新しいにも関わらず全国でほぼ共通しているというのは特徴的であると考えられる。また、ここで「豊かな実りによって飼い主を豊かにした」と述べられているが、このことが「花咲かじいさん」ならびに「雁取爺」において重要な点であると考えられる。

 花咲かせ、雁取りのどちらの話形にも共通しているのは、「灰をまいて豊かな収穫を得る」という考え方である。その根底には、灰が生活のために重要な意味を持っていた、山地の焼畑耕作の文化が存在しているのではないかと考えられる。焼畑耕作において灰は唯一の肥料であり。収穫をもたらす生命力の源である。(中略)犬は生きているあいだは身体から富を生み出し、殺されるとその死体から植物(果樹)を発生させる。そのような犬の力がこもった灰を畑にまくと、豊かな収穫がもたらされた。花咲爺さんの昔ばなしは、焼畑の文化を背景として、古い作物起源神話の痕跡をいまに伝える話だったのである。

『昔ばなしの謎 あの世とこの世の神話学』古川のり子 

角川文庫 2016年9月 p.70,p.71

 「花咲かじいさん」の話は、優しいおじいさんには良いことが、意地悪なおじいさんには悪いことが起こるということを教訓的に示す話であったと思っていたが、今回調べることで「焼畑の文化を背景として、古い作物起源神話の痕跡をいまに伝える話」という側面を見ることができた。それは、やはり「花咲かじいさん」だけでなく「雁取爺」の話と比較することによって(その共通点から、大事な部分が残っている)初めて見えてくることである。このことからも、「花咲かじいさん」をはじめとする物語の歴史について調べることは、物語を多面的に見るという点においても重要なことであると考える。

【参考文献】

◯『昔話と文學』柳田國男 創元社 1938年12月

◯『昔ばなしの謎 あの世とこの世の神話学』古川のり子 角川文庫 2016年9月

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