(133)三枚の古い皿
危ない誘惑
ひょんなことから、庭に母猫が持って来た子猫二匹を飼うことになった。
数ヶ月前から、庭にしつこく糞をしに来る野良猫に、私と隣家は悩まされていた。薬をまいたり猫よけグッズをおいても効果はなく、かけた金は多分数万を超えたし、毎朝のいらいらと不快さでそがれた仕事の意欲は金に換算したらもっとだろう。猫好きと人に思われているらしい私が、このままだと確実に、トラバサミかネコイラズを庭において、動物虐待犯の仲間入りをするだろうと思ったぐらいで、ついでに言うと猫を虐待する人の気分も少しは理解できるようになったほどである。
野良猫はもちろん一匹ではなかった。多分数十匹はいたのではないだろうか。ご近所に猫好きで野良猫にエサをやっているご夫婦がおられて、それはもう何年も前からだったのに、糞害に悩まされたことは一度もなかった。その方から留守の時にエサやりを頼まれたりしたのをきっかけに、他のお宅でもエサをやりはじめ、増えて行った猫たちがどこかで許容量を超えたのだろう。裏の森が宅地造成されて、自由に行動できる空き地がなくなったことも影響したのかもしれない。避妊や去勢はされていないので、しょっちゅう子猫が生まれていて、ねずみ算ならぬねこ算で増えつづけたのかもしれなかった。
敷石作戦
以前にリフォームを頼んだときに紹介してもらっていた石材屋さんで、無料の敷石のかけらをもらったことが何度かある。ネットで見ると、石の上でも糞をする猫はいるようだったが、うちに来ている猫たちは、何かをおいておけば、そこは避けるようだったから、その石材屋にまた行って、たくさんの石のかけらを車に積んで持ち帰り、被害の多い庭の部分に敷き詰めたら、どうやら糞害は止まった。隣家の畑にも来なくなったようだった。
実は思いきって庭を全部コンクリートで固めてしまおうかとも考えた。老後のことを考えればそれが一番楽かもしれない。しかし、当面敷石を置くだけにしておけば、いやになったら外せばいいし、この方が合理的だと考えたのだ。
糞害は一応ストップしたが、しかしまあいつまで続くかわからないと警戒していた矢先、時々見かけた白黒猫が、庭先で用ありげにしているのを見かけたので、私は即座に追い払った。その後で糞をしていないか点検していると、草むらに手のひらに乗るほどの小さな子猫が二匹いた。なるほど、ここに運んで来たから母猫も世話をしに来ようとしていたのかとわかった。
子猫は母親ががんばって育てていたのか、まるまるとよく肥えて、普通なら人に向かってシャアとかハアとか赤い口を開けて怒るものだが、そういうこともいっさいなく、つかまえて抱いても騒ぎもせず、機嫌よくぐるぐると喉を鳴らしていた。
去年、まだ寒いとき、私は庭で見つけた子猫を母親が来るかもしれないと放置して、寒い雨の夜に死なせてしまった痛恨の思い出がある。あのときの子猫も同じようにまるまる太って、ふしぎなほどに人懐こかった。同じDNAの持ち主だろうかと、とっさに思ったほどだった。
その時のことを思い出すと、もうあんな後悔はしたくないという思いと、糞も困るが子猫を持ち込むのも困るという怒りとで、私はそのまま子猫を抱いて、エサをやっておいでのお宅に行き、そこの奥様に、猫の糞害で困っていてもう限界でもあるし、一度皆さんで相談して、共同のトイレを作って管理し、お金を出し合って避妊や去勢をして、これ以上は増やさないようにするなどの対策を立てませんかと提案した。
思わぬ展開
そのお宅も糞害には困っているし、エサ代もバカにならないし、と嘆かれていた。そして、二人であれこれ対策を考えていると、奥様は、共同トイレも避妊もうまく行くかどうかわからないし、それより結局もう皆で話し合って絶対にエサをやらないようにしたら、猫たちもどこかに行くだろう、とおっしゃって、他のエサをやっておられる二軒の家に、私といっしょに行って、そのような提案をし、皆賛成した。
その二軒のお宅でも、他のご近所からも文句が出ていたらしく、また家族には猫嫌いの人がいて家に入れるわけには行かず、保健所に取りに来てもらおうとしたこともあるそうで、そもそも触れるまでになついている猫はいないので、つかまえて避妊や去勢をすることもできないということだった。つまり家族や地域の和も、このまま煮詰まれば崩壊しかねないという予想もできた。
「それではそういうことにしましょう。この子猫二匹は私が育てて飼い主を見つけます」と私は言った。その間中、子猫は私の腕の中でいい気持ちそうに喉を鳴らしていた。ちょっと触ったり抱いたりした方もいたが、自分はどうしても触れられないと言う方もいて、なるほどそれでは手懐けて病院に連れて行くということは無理だろうなとも思った。
何となく急転直下の解決で、エサをもらっていた猫たちには何とも気の毒な気もしたが、こちらもそんなことを気にしてはいられない心境だった。
六月にちなんで
子猫は多分生まれてひと月ほどの、まだ足腰もしっかりしていない、ふわふわの毛のかたまりだった。
とりあえず、物置に入れて寝床と砂箱を与え、ミルクを飲ませていたが、窓やガラス戸を大きな音を立てて開閉しても、きょとんとながめているだけで全然おびえる様子もなかった。それが六月のはじめだった。水無月とJuneにちなんで、黒猫のほうをみなきち、キジ猫の方をじゅんぺいと命名した。病院でカルテを作ったとき、二匹とも男の子だったので誕生日は五月五日ということにしてもらった。
もちろん私が最後まで飼うという選択肢は、はなからかけらも私の中にはなかった。そもそも、この子猫が成長して死ぬ前に私の寿命が終わりかねない。だから、せいぜい、とびきりいい子に育て上げて、立派な飼い主を見つけてやるしかないと決めていた。
その後、三軒のお宅がエサをやるのをやめられたのかどうかはわからない。猫は減ったような気もするが、まだそこそこ姿を見かけるし、子猫を育てている母猫は他にもいたから、かわいそうでエサをやっている人もいるのかもしれない。
私は自分の家の庭に糞をされなければかまわないので、それ以後は何のお話し合いもしていない。ただ、庭をきれいにしたくても、うっかり猫のトイレにされてはと思うと、慎重にならざるを得なくて、草ぼうぼうのままなのはゆううつだ。
一度だけ私を烈火のように怒らせたのは、私がそうやって子猫を引き取って数日後、庭の隅に、今度は目も開かない子猫が一匹、明らかに人間の手で置かれていたことだ。草取りに使う「てみ」を私が外壁と石段の間にたてかけておいたのを、持ち出してその中に子猫を入れているのだから、スーパー母猫でもいるならともかく、人の手でなければできることではない。
エサをやっていたどなたかか、通りがかりの情け深いと自分で思っている抜け作か、誰かは知らぬが、子猫を育ててくれそうな優しいおうちとか思ったのなら大バカだ。前にも書いたことがあるが、私はこういう人間の発想が、大げさに言うと、この世で一番許せない。
母猫たちがうろついている道の前のやぶに、子猫は戻した。そして、家の前の掲示板に次のような貼り紙をした。
「庭に子猫を置いて行かれた方へ。
私はもうこれ以上、一匹も猫は飼えません。
かわいそうですが、捨てました。
甘えないで下さいね!」
どうでもいいが、こんな人でなしみたいな貼り紙をした横に、選挙で支持する候補者や、いろんな集会ののポスターを貼ったままにしていたのでは、印象を悪くしてしまうだろうと、そういう他のポスターやチラシは全部はがした。
何年も窓に貼っていた「アベ政治は許さない」のポスターも、ポスターのイメージを悪くしてはいけないと思って、それもはがした。これをはがす時はいつだろう、それなりの感慨はあるのかしら、などと少し黄ばんできたポスターを見ながら、ときどき考えていたものだが、思いがけず早めにはがすことになった。もっとも、その数カ月後の八月末には安倍首相は体調不良で辞任してしまったから、今思えば予言か先触れだったかもしれない。
すこやかに、たくましく
子猫は実にすくすく育った。二匹とも、何一つ恐がるということがなく、さりとてバカな無茶をやらかすわけでもなく、実に賢くて元気だった。猫用の粉ミルクと哺乳瓶を買ってきて、数時間おきにお湯で溶かして飲ませてやったが、すぐに子猫用のえさも食べるようになった。
しましまのキジ猫じゅんぺいの方が少し活発で、身体能力も高く、窓枠によじのぼるのもテーブルに上がるのも、決まって一足先だった。その半日後には同じようなことができるようになる、ちょっとおっとりした黒猫みなきちも、かわいい顔をしているのに、写真では黒いかたまりのようにしか映らず、どんな時にどう撮っても、常にばっちり美形に写るじゅんぺいに、私はちょっとムカつく時があったぐらいだった。
意外にももらわれたのは、みなきちの方が先だった。別府のカレーのお店の方が写真を見て黒猫の方をと希望されたのだ。車に乗せて連れて行ったそのお店で、知らない大勢に囲まれてもみなきちは、おっとりのんびり、いつも通りで、広い庭の中のおうちに行っても、一歳年上の先住猫にすぐなついたらしく、幸せそうに遊んでいる写真が送られて来た。
一匹残ったじゅんぺいは、それほど淋しがる風もなかった。みなきちとは毎日仲良く遊んでいたのだが、私が残されたのをかわいそうに思って、物置から書庫や居間に入れてやったのが楽しかったのか、あいかわらず元気で陽気だった。年寄り猫の黒猫グレイスの部屋にも入って、ふうふうしゃあしゃあ怒られて、時にパンチを食らっても平気で彼女のエサを食べ、同じベッドでくつろいでいて、かなり意地悪で他の猫をいじめるグレイスの方が閉口して遠慮がちだったのには笑った。
じゅんぺいもまもなく家族の多い、にぎやかなおうちにもらわれて行った。これまた仲介して下さったお店に連れて行くと、おびえる気配もなく、あたりを探索し、新しいご家族にじゃれて、私などは見向きもせずに元気に連れられて行った。
見るからにかわいくて、身心ともに健康で、非の打ち所ない猫だったが、「いい男にありがちな、どこか冷たいとこがあるのよね」と私はよく皆に言って笑っていた。聞いた一人が「キムタクみたいなタイプですね」と言ったのが、どんぴしゃりすぎて私は大喜びしたが、どこやらそんなところがあった。それよりは何となく、もうちょっとしっとりした性格のみなきちも、やはり元気で落ち着いていて、二匹とも哀れっぽさや危うさがまったくなかったのは、私の育て方というより、持って生まれたDNAのせいだろう。
食器をさがして
まだ脚もしっかりふんばれない頃に、初めてエサを食べだした彼らに、ペット用の食器は大きすぎた。私は何かあったはずだと思って、棚の奥から三枚の古い小さい皿を探し出した。薄緑の一枚は、多分昔田舎の家で使っていたもので、人にあげた時にひびが入っていたので残したのだったと思う。薄茶に葉っぱの模様のと、白地に紺の野菜の絵がついたのとは、おそらく学生時代に共同生活をしていた山登りが趣味の元気な女性が使っていて、卒業の時に残して行ったもので、もう五十年も前のものだ。特に思い出も愛着もあるわけではなく、どれもとっくに捨てるつもりでいたのに、ついそのままにしていた。
結局、子猫たちは、物置の床に並べたこの三枚の皿で、毎日せっせとエサを食べて大きくなった。片手でつかめる大きさの、やわらかい温かい小さな身体が指の間で、もにょもにょ暴れる力強さ、兄弟二匹で毎日遊んで取っ組み合っているせいで、おのずと訓練されて、爪も歯も決して相手を傷つけないやわらかな甘噛みで、せいぜい抵抗や抗議するときに上げる、みゃおうというかぼそい声など、多分もうこれが最後になるだろう、子猫育ては終わってみれば楽しかった。
それにしても、さすがの私もこの三枚の皿は処分するつもりでいたのになあ。二匹はもう新しい名前をもらって、私とは別の世界で幸福に過ごしているし、そうでなくては困るのだが、彼らをを思い出すものが、写真以外はもうこれしか残ってないとすると、ちょっとまた捨てかねてしまいそうな、非常に悪い予感がするよ。(2020.9.3.)