(3)ランプの旅。
(ランプ・ハツカネズミ・家電)
アンティーク風ランプ
停年退職する直前の数年、自分の研究とは何の関係もない仕事ばかりがやたらと忙しく、ストレスもあって、ばかすか買い物をしていた。特に、田舎の家の大きいのが二軒、叔母の遺したマンションが一つ、自宅と別にあったので、古い家の広い部屋を、手っ取り早くカッコよく見せるためのインテリアに、洒落たランプをいくつも買った。定年後、家を売ったり、人に譲ったりして、生活空間を縮小するにつれて、ランプばかりが、やたらと狭い家のあちこちに増えるはめになった。
もう、そのどれをいつ、どんな気分で買ったかさえも、いちいち覚えていない。この写真の四角いアンティーク風のランプは、それらの中では地味な方で、値段も高い方ではなかった。好きではあったが、あまり大切にはしていなくて、田舎の、築100年に近い古い家の窓辺の棚に、ずっとおいていて、灯をつけたこともなかった。
その部屋は、もともと村医者だった祖父の診療所にしていた部分の、患者の待合室だった。祖父母や母は、その部屋を「控え所」と呼んでいて、子どもの私は意味もわからず「ヒカイショ」と聞きとって記憶していた。薬局から薬を渡す窓口の横に、大きな一枚のガラスをはめこんだ広い窓があって、出窓のように棚がついていた。厚い立派な茶色の板の棚だった。一時期そこには、ハツカネズミのかごがおいてあって、宝石のように赤い目の白ねずみが数匹、せっせと輪をまわしていた。いつの間にか彼らは一匹もいなくなったが、年をとって死んだのだろうか。
もちろん、ランプを私がそこにおいたころには、ハツカネズミはとっくにいなくなっていた。診療所の部分もリフォームして人に貸せるような、普通の住まいになっていた。私は、もっと時間があるか、いっそ身体がいくつかあれば、ここでのんびり過ごすのにと思いながら、帰省したとき、そのあたりの部屋で、本を読んだりテレビを見たりしてくつろいでいた。
間もなく、その古い家を売って、手放したとき、とりあえずランプは、隣りの新しい方の家の窓辺に移した。そうやって家が減るたびに、その分残った家にはものが増える。その窓辺にも、花瓶や文箱がごちゃごちゃ置かれていて、その中に真四角な黒い鉄の枠と、白いレースがはめ込まれたガラスのランプは、ほおづえをついた気取らない貴婦人のような、落ちついた風情でおさまっていた。
貴婦人再臨
その家もいずれは処分するつもりで、徐々にいろんなものを町の自宅に運んでいた時、何度目かにふと私はそれをつかんで持ち帰った。そして、ベッドの枕もとのテーブルにのせて常夜灯の代わりにした。
年を取って、猫がいると、たとえまだまだ手足がしっかりしていても、たとえどんなに大人しい猫でも、何となくカップでも花瓶でも、下の部分がすぼまった不安定なものは避けて、末広がりや筒状や真四角の、いやっというほど安定したものを選ぶようになる。枕もとの小さいテーブルのはしにおいて、寝ぼけてそのへんの本やリモコンを手探りするには、このランプの形は好ましかった。持って見ると、鉄枠のせいか、適度にずっしり重いのも安心だった。
そして、このランプは、当分かもしれないが、終の棲家というべき格好の職場を得た。
毎晩寝る前に私はこのランプをつけて、ベッドに入って、猫を抱く。あたたかい、ばら色がかった光のなかで、猫の大きな目の横顔や、枕に顔を埋めてしまったあとの耳を見るのにも、ちょうどいい。
まだ、買ってからの年月はそれほど長くないが、相当古くからあるような落ち着きをかもし出しているのも頼もしく、そして、ながめていると、ずっとこのランプがのっていた、田舎の古い家のハツカネズミがいた棚や、新しい家の私が選んで気に入っている濃い紫のカーテンのかかった窓辺が、淡い光の中で、幻のように見えてくる。
などと、いい気になっていたら、先日、コードの途中についているスイッチが割れてしまった。いつも行く量販店に修理を頼もうと思ったが、何だか不安で、かねて評判がいいのを聞いていた、小さい地元の電気屋にコードをはずして持って行った。創業祭で忙しそうだったにもかかわらず、ていねいに応対してくれて、カタログで同じ黒い色のスイッチを探して取り寄せてくれて、数日後にきれいに仕上がって、安い値段で戻って来た。
壊れたテレビ
10年近く前に、大変信頼できる若い電気屋さんに自宅のオール電化を頼み、若いご主人だし腕はいいし、もうこれで私が死ぬまで電気関係は安心だと喜んでいたら、有能で親切で忙しかったからかどうなのか、その方は突然亡くなってしまわれた。近所の方にも顧客が多くて、皆で呆然とした。その後とりあえず量販店で電化製品は買っていたが、これをきっかけに、そのランプのスイッチを修理してもらった店でいろんなものは買うことにして、とりあえず地震で落っこちて壊れた、母のテレビを購入することを決めた。何となく、ランプが取り持ってくれた縁のような気がする。
ひとつ告白しておくと、母のテレビが壊れたあと、その新しい電気屋さんに壊れたテレビの引き取りや新しいのが来るまでの貸し出し用のテレビの設置もお願いして、すべて快くてきぱきやって下さったのだが、私はあわてていたせいで、壊れたテレビにねぎらいのことばもまなざしもないままに、さわりもしないで送りだしてしまった。母の部屋で五年間、しっかり母を楽しませて、認知症も多分ある程度は防止してくれただろうし、地震で落っこちる時も母の上には落ちないで、自分だけで壊れてくれたのに、お礼の一つも言えなかったのが大変心残りである。もちろん写真のひとつもない。
役に立ってもらって、ありがたくて、感謝しながら、それをどんなかたちでも表せないまま永遠に別れてしまう。人にも物にも、そういう別れはあるのだと思うしかない。(2016.4.18.)