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(43)合わせ技

私の住む宗像市は、博多と小倉のほぼ中間にある。
聞く人が腹を立てるようなややこしい話をすると、JRの駅には宗像も福岡も北九州もない。かわりに、赤間と博多と小倉がある。地元では、宗像という名の駅がほしいとか、いろいろな声があって、駅名変更などの話も政治的課題として持ちあがったりする。
JRでも車でも、博多と小倉、つまり福岡と北九州へは、ほぼ同じくらいの時間で行ける。多分、福岡の方が人気があるようだが、私は小倉もそれなりに好きだ。ちょっと泥臭くて、どんなお洒落なビルが入っても、いつの間にかどこか庶民的になったりするが、あちこちに、何とも言えない独特のレトロな味わいがある。井筒屋デパートに近い細い道沿いにある、スコーンがおいしい英国風の紅茶の店も好きだった。

朝日カルチャーセンターというのが博多にも小倉にもある。今は忙しくなってやめたが、数年前まで、その両方で私は文学講座を担当していた。最近は実用的な講座の方に人気があり、文学関係の講座は受講者が少なく、高齢者の方が多い。それでも皆さん熱心だし、私は楽しくお勤めしていた。ただ月に二回ずつ、隔週の同じ曜日なので、どうかするとまちがえて、あべこべの方に行ったりしそうになり、途中で気づいて、ぎゃっとあわてて引き返したことが一度か二度ある。

博多駅は今を時めくと言いたいぐらい大きなビルやおしゃれな街並みが集中していて、うっかりすると、一回の講座でいただく一万円の報酬を、食事や買い物で使い果して足が出る。小倉の方はひとつ手前の西小倉駅で降りるので、松本清張記念館や小倉城が並ぶ静かな街で、誘惑はそれほど多くない。
それでも、私がけっこう散財していたのは、駅前にある、ファブリックや雑貨やアクセサリーの小さい店で、ここはいつも、よそにはない、ちょっと変わったものを置いていた。同僚へのプレゼントや、窓辺に置く飾り物をときどきそこで調達していた。

そんなにものすごい値段ではなかったと思うが、ここで買ったものの中で多分一番高かったのは、赤い小さな木の椅子である。子どもか人形用にいいような小ささで、もしかしたら外国製だったかもしれない。
私が気難しい弱虫のふわふわ毛が長い猫と住んでいる小さな家は、もともとあった家の横に建てた離れのようなワンルームで、最初はがらんとしていたのだが、次第に家具が増えて来ていた。だからできるだけ何も買いたくなかったのだが、この場合はちょっと事情があった。

私は最近わりとよく料理をするが、もともと外食が多く、台所は使わない。流し台も小さいし、特別な装置は何もない。調理台の上には大きな換気扇がある。いつからか、その換気扇のカバーの継ぎ目に茶色の油がたまって、時には下に落ちるようになった。業者でも呼んで換気扇の掃除をしてもらうか、と思っていると、換気扇が聞きつけるのか、油はたまらなくなる。何だかんだで、そのままにして、気づいたときにはふき取っていた。
手を伸ばせばぎりぎり届く位置ではあるのだが、一番奥の継ぎ目にたまった時は、よほど手を伸ばさなくてはならない。いい屈伸運動になるからかまわないかとも思っていたが、ちょっとした低い踏み台でもあったら助かるのにとずっと思ってはいた。

私の身長は一五四センチぐらいで、小学校入学時からほとんど背が伸びていない。言いかえれば小学校低学年までは男女合わせてクラスで二番目に背が高かった。ほんのわずかに私より高い女の子がいて、ずっとその子と列の最終尾に立つのが常だった。
当然、小学校から中学、高校と進むにつれて男子はにょきにょき大きくなるし、女子も私を追い抜く子が増えた。だがそこで我ながら恐ろしいと思うのは、私は大人になってさえも、その事実にまったくと言っていいほど気がつかず、いや気がつかないわけはないが意識したことがなく、見あげるばかりの男子の同級生たちも、普通に昔通りに見下ろしている気分で生きていた。もしも誰かに聞かれたら、「あの人は私より背が低い」とか、平気で答えていたのではないか。
どうしてそういうことになったのか、私の方が聞きたい。小さいときに周囲より背が高かった人間は皆こうなのか、私だけがおかしいのか。自分に暗示をかけていたのか、どこかがどうかした錯覚か、何とかかんとか症候群みたいな病名でもあるのか。大人になっても高齢者になっても、私はずっと、自分が小柄とも非力とも思わないで毎日を過ごしていた。
一応自覚はあるので、現実を忘れないようにしてはいるが、それでも家を訪問した人が、高い棚の上のものをひょいと取ってくれたりすると、ああそうか、この人には踏み台はいらないんだとわかって苦笑する。だが、かと言って、衝撃も羨望も特になく、そういう背の高い人から見た世界はどうなんだろうとも思わない。小学校のときにさんざん、クラスの皆の頭を上から見下ろす風景を見慣れて来たので、ある程度予想がつくということもある。

もしかしたら、私は相当いわれない自信にあふれた、生意気なところが身体のしんにあるのかもしれない。それが、たたきのめされることもなく生きて来られたのは運がいいのかもしれないし、逆にそういう態度が、実はよっぽど強いんじゃないかと相手や周囲を勝手にびびらせたのかもしれない。
ともあれ、足がもう十センチ長ければ、どうということない話ではあるが、その十センチを補う足台が私は台所にほしかった。
そんなとき、その雑貨店で、小さな赤い椅子を見つけたのだ。オブジェのようでかわいかったし、片手で楽々持てる軽さだったから、私は電車で持って帰り、調理台の前においた。果たしてその場にしっくりはまり、猫がときどき、その上に立って調理台に手をかけていたりしたが、ありがたいことに、それ以上はさほど興味も示さなかった。

私は大変気に入ったので、誘惑に勝てず、同じ椅子がもうひとつ残っていたのまで買ってしまった。今それは、机のわきで、バッグを置くのに使っている。流し台の前においた方は、なぜかまた、その後あまり油がたまらなくなったので、本当にそのままオブジェになっていた。
その後、田舎の家を処分して大量の荷物の整理に追われたとき、古いホーローのボールやバットがいくつも出て来た。特に赤いふちのついた大きな白いボールは、田舎の家の台所のすみに、ネギなど入れて置かれていたような記憶がかすかにあり、処分する気になれなくて、何となく、そのままにしていた。
ある日、ふと、その中にリンゴを入れたまま、例の赤い椅子の上に置くと、これがなかなか悪くなかった。椅子の上にかかっているのは、これまた多分叔母のものらしい、ごてごてした布製の赤い鍋つかみで、それらがいっしょに集まると、ばらばらでいた時とはまたちがった迫力を生んだ。

以後、赤いふちのボールはその椅子の上が定位置になり、私はリンゴをその中に常備するのが習慣になった。
おかげでリンゴ料理のレパートリーを開拓する必要にせまられている。
昨日は、余ったピーナツバターにりんごをつけて食べるというのをやってみたが、悪くはないけど、ちょっといまいちだったかなあ。(2018.5.24.)

 

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カツジ猫