(57)鍋たちの晩年
私は家事をほとんどせず、特に料理はまったくしなかった子どもなので、祖母や母が台所で何をしていたか、まるで知らない。二人が童話や民話なみに、人をさらって来て鍋で煮ていても気づかなかったはずである。
幼いころに台所の一隅に巨大なかまどがあって、大きなまっ黒い釜があったのは何となく記憶にあるが、それがいつの間にかなくなってしまって、ガスコンロなどが置かれるようになったのも、ほとんど印象に残っていない。
そんな風だから、使われていた鍋やまないた、その他の道具にもなじみはないし、思い出せない。そもそも、田舎の家に残されていたがらくたの中に鍋釜の類がほとんどなかったのは、祖母や母もあまり料理をしなかったか、古くなったそばから捨てていたのだろうか。
多分、私が叔母からもらった銅製の立派な小ぶりの鍋を、母が気に入ったのか、改造した新しい台所で、かなり長いこと使っていたのは覚えている。その鍋も捨てはしなかったが誰かに譲ってしまった気がするし、流しの下にしまってあった、大きな新しいホーロー鍋のいくつかも、結局人にさし上げたように思う。その新しい台所も、その内に母は散らかしてごみためのようにしたし、どうも私は台所やそこの道具類に親しみや懐かしさを感じることがなかった。
かろうじて記憶に残っているのは、まだ古い台所の時代の、木のふたがついた昔ながらのありふれた丸い鍋で、それもあまり魅力的なものが中に入っていた印象がない。むしろ一番覚えているのは、この鍋が人間用に使うには少し古びたかして、祖母が飼い猫のエサにするための、魚の頭やしっぽを煮るのに使っていたことである。いやな臭いとまでは行かなくても、決してうまそうではない生臭い香が湯気とともにたちのぼっていた。
当時はキャットフードなどなく、また魚はパックどころか切り身でさえなく、丸ごと買って来るのが普通だったから、猫たちのエサは、いつもそうして、人間の食べない部分を煮て作っていた。猫の食器というものもなかったはずで、何に入れて食べさせていたのか、それも私は覚えていない。
歴代の猫の中には、人間用の魚を煮て、ふたをしたまま置いていたなべのふたを開けて、中の魚を食べ上げて、またふたを閉めておく超人的なわざを持っていた強者もいたようだ。その鍋のふたは金属製で、丸い黒いつまみがあり、猫はその上に手をのせてつめを出してつまみを持ちあげたらしいと母と祖母は言っていた。本当にそんなことができたのか、いまだに私は半信半疑だが、確信を持って否定できるほど、猫にも鍋にも詳しくないので何とも言えない。
母と祖母は、居間のこたつでよく、猫のエサは作ってあったっけと確認するのに、「猫の頭はもう煮えたかね」「猫の頭をそろそろ煮ないと」などと言いあっていた。台所仕事にまったく携わらない私は、それだけに耳で聞くこのやりとりが不気味で、一度二人に、「その言い方じゃ、『猫に食べさせる魚の頭』じゃなくて、猫そのものの頭を煮てるみたいじゃんよ」と抗議した。二人はきょとんとして、「ああ、ははは、そう言えば」みたいな、あいまいな笑い方をして、それきりになったが、母はその発想が気に入ったらしく、その後何度か私に「あんたが、ああ言ってからというもの、おばあちゃんと『猫の頭は煮た?』とか言うたびに、鍋の中から目を閉じた恨めしそうな猫の頭が、ふたをのせて、のぞいている図を想像する」と言って喜んでいた。
私の鍋に関する記憶と言ったら、それぐらいのものだ。
使えそうなきれいな鍋は人にあげたりして処分したあと、私の手元に残ったのは、黒ずんでいささかでこぼこの、多分「猫の頭」用に使っていた鍋と、母が焼き肉か何かに使っていた、もともとはもっと大きい鍋のふたか何かの一部と、私がごく幼いときに、家族や来客とすきやきをする時に必ず使っていた、わりと薄手の銀色の鍋だった。このすきやき鍋だけは、白い脂身をすべらせて溶かしたあとで、牛肉や豆腐や野菜を入れて、砂糖としょうゆをたっぷり注ぎ、めいめいの器で卵にひたして食べる豪華な食卓を思い浮かべて、うまそうな匂いと満腹感がよみがえる、幸福な料理の思い出とつながっている。
どれももう、鍋としての使命は終えている。どう考えても捨てるしかない代物だが、捨てがたくて、まず、ぶ厚い鍋のふたは、植木鉢の受け皿にした。母の葬式のときに葬儀社がくれた胡蝶蘭の鉢を、後で株分けして植えたところ、三つの内二つは一年目で枯れてしまったが、一つは残って、つい最近も新しい葉と芽が出て来た。花はさすがに咲かないが、葉っぱがきれいなので、楽しんでいる。この鉢だけがまだ生きのびているのも、ひょっとして、古い鍋の底力のせいだろうか。
すきやき鍋と猫用の鍋は、今住んでいる二軒の家の、旧宅の方にある風呂場に使うことにした。
この風呂場は昔ながらのタイル張りだが、浴槽はわりと新しく、お湯もしっかり出て使える。私はここを、面白い場所にしたかったので、近くの家具屋で安売りになっていた透明のプラスティック製のテーブルを買い、フェイクの花と洒落た水差しと、以前は庭においていた、フランス製かドイツ製か(覚えとけよ)のガーデン用のかたつむりをあしらった。その水差しの下に、すきやき鍋と猫鍋を重ねて洗面器代わりにしてみた。湯船につかってながめていると、鍋たちは、なかなか手に入りがたいアンティークのように見え、ちょっと風変わりな温泉気分を味わえる。(2018.7.27.)