(70)ぞんざいなカーテン
子どものころ読んだ、岩波少年文庫の「あらしのまえ」「あらしのあと」は、今考えると、どうやら国文学者の叔父が、どこかの大学か高校で文学の授業をしていたときのテキストで、そのお下がりの本だったらしい。
これは、オランダを舞台に、第二次大戦でドイツ軍に占領された時代の直前と直後の、ある医師の一家を描いた児童文学で、大勢の子どもたちや、逃亡して来ていっしょに暮すユダヤ人の少年など、戦争の時代そのものを描かないだけに、かえってなまなましく、戦火の日々が何をもたらすかが伝わって来る。
あまり学校の成績がよくないヤンと、それを心配するけなげな妹ルトがいて、そのヤンが自分の本棚の本が「どこか親切そうな様子をしていました」というところに、叔父の鉛筆のあとがあって、そこを授業で課題にしたのかなと、あとになって私は思ったりした。
そのルトだったと思うが、夜に外から自分の家を見たときに、明るいいくつもの窓から光が外に流れだしている場面があって、そこで、ヤンと、その兄のヤップのへやでは、「ぞんざいにひかれたカーテンから」灯りがもれていたという文章がある。なぜそれを今でも覚えているかと言うと、多分小学生だった私には、その「ぞんざいに」の意味がよくわからなくて、どういうカーテンなんだろうかと、ずっと気になっていたからである。
もっと、子どものころに読んだ本で、両親の留守の間に、灯台の番をしていた幼い兄妹か姉弟かが、いやまあ考えて見れば、子ども二人で留守番というのもなさそうだから、何かアクシデントがあったのだったかもしれないが、とにかく航行する船の無事のために、二人で灯台の灯をつけなくてはならなくなり、でもどうしてもそこまで手が届かないというお話があった。
結局二人はそれに成功し、夜が明けてからやって来た大人たちは、灯りをつけた下でひと晩それを見守って眠りこんだ二人を見つけて感動する。私はこの話が大好きで、その後「ドリトル先生」シリーズのどれかで、灯台か何かで同じように船を助けるために灯りをつける話を読んだときも、この幼い二人のことを思い出して二倍わくわくしたものだ。
たしか私は鉛筆で、その子どもたちがいろんなものを積み上げて、よじのぼって、灯りをつける場面を絵に描いたりしたと思う。何でも仇のように取っておく母のことだから、さがせばあの絵も、どこかにまだ残っているかもしれない。
その子どもたちが、ありとあらゆるものを重ねて足場にして、灯りをつけたことがわかる翌朝の場面で、椅子とか箱とかいろいろの物のなかに「なんまいものふとん」ということばがあって、これが「ぞんざいに」同様、もっと幼かった私には何のことだかわからなかった。
今考えても、子どもの本で、この表現に「何枚もの」という言い方はちょっと唐突でなじまないし、難しいのじゃないかと思う。とにかく私はずっと気になり、じゃがいもやさといものような「なんまいも」という野菜があるのだろうかとさえ、ぼんやり考えていた。
「あらしのまえ」「あらしのあと」は、今も私の家の本棚にある。もう古びているし、人に上げても失礼なので、多分私が死ぬまで持っているだろう。
もうひとつの灯台守の話の方は本もないし、どんなかたちや表紙だったかも思い出せない。いくつかの話が入っている本で、挿絵もなかったはずである。
田舎の家には部屋の周囲をぐるりとめぐる長い廊下があって、ガラス戸が入っていたが、カーテンはなかった。ほこりがつくからと言って、母がカーテンをいやがったのもある。部屋の周囲には障子があったから、別に必要もなかったわけだ。
私と祖父の部屋があった離れの廊下には、私が学生時代に紫の布に、赤い丸い玉の房がついた飾りをぬいつけていたカーテンを持って帰ったら、祖父が気に入ってかけさせて、ずっと使っていた。もしかしたら、それもまだ、どこかにしまってあるかもしれない。
今の家を建てる前に借りていた家にも、かなり窓やガラス戸が多かったのだが、これは叔母がデパートでピンクのとグレーのと色違いの二種類の、えらく立派などっしりとしたカーテンを買いそろえてくれた。ただならぬ値段だったこともあって、私はその後もずっと、新しい家や田舎の実家などに、このカーテンを使いまわしていた。猫が常駐する出窓にかけていた一枚は、長い間に猫の毛がびっしりついてじゅうたんのようになり、ちがう布かと思うほどだった。
それも、きちんと毛をむしって洗って復活させ、今でも二階やそこここの窓に使っている。どっしりしていて重苦しいが、その分堂々として、まったく古びないのはさすがだ。
母の隠居所に作った田舎の新宅のカーテンは、すべて私が自分で選んだ。特に自分の仕事部屋にするつもりだった広い部屋の、紫に金がまじったカーテンは気に入っていて、でも、その部屋以外では似合わないと思ったから、家を買っていただいた時にそのまま残して来た。代わりに今住んでいる二軒の家の、小さい方の新しい家には、同じカーテン屋さんから、色違いの同じ模様のを買ってつけた。本当は前の家の居間に使ったサーモン系のピンクにしたかったのだが、それはもう品切れで、母の寝室につけていた、薄いピンクのにした。淡い金のつる草模様が入っていて、これもまた悪くない。
ただ、キッチンのシンクの前の小窓と、横手の格子のガラス戸は、汚れそうでもあったので、別にして適当な布を下げた。小窓には今は藍染の店で買った藍と白のスカーフをかけている。格子戸には、ちょうど余っていたマリメッコの布を突っ張り棒でくっつけた。
つまりここのふたつは、私の家の中ではかなり「ぞんざいな」カーテンである。
ガラス戸の方は、開けておくときまとめるのに、これも昔、母のベッドにリモコンを固定しておくのに使っていた、ぐにゃぐにゃ動く棒を丸めて使っていたのだが、最近は、荷物の中から出てきた、ひとつ余ったタッセルをこれまた適当に使ってまとめている。
このカーテン止めというかタッセルというかは、本体のカーテンと別れ別れになりやすい。叔母の立派なカーテンのタッセルも、いまだにあちこち、思いがけないところから出てきて、そのたびに私はちょっと喜びながら、カーテンのそばに戻してやる。
一方で、いいかげんに買ってしまって、もう使いそうにないカーテンを寄付したりあげたりする時に、タッセルが残ってしまわないかは充分に注意する。何だか引き離されてかわいそうな気がして。
だから、めったに残らないのだが、これはたまたま置いてきぼりになってしまった。申し訳ないやらがっかりするやらで、しばらく処遇に困っていたが、いっそもう、ちがうカーテンをちぐはぐにまとめてもいいんじゃないかと開き直った。
というわけで最近は、もっぱらこうして使っている。ここまで、ぞんざいにやってしまうと、いきあたりばったり感が逆に潔い…かもしれない。(2018.9.27.)