(72)たまたまですが
十年来続いている私の片づけ仕事も、一応何とか最終段階にこぎつけつつある気はする。
とは言え、まだ押し入れの中などは未整理の荷物が満載だし、見える部分の家の中が、やっと人の住める状態になってきたという程度だ。
しかも結局、あれこれ微妙にいろんなものが置かれた結果、いったいこの現状はそれなりに風変わりだが楽しい家なのか、明らかにごちゃごちゃぶりが度を越した家なのか、客観的な判断基準が私自身の中で失われつつある。
たとえば、この一角なんかも、椅子の下に未整理の紙袋がつっこまれているのは論外としても、最低きちんとして見えるか、もうだめな段階か、よくわからなくなって来た。
そういう中、適当においたものが、一時的になかなかいいじゃないという光景を作り出しているような気がするのも、これまた、もはや錯覚かもと自信がない。
うすら寒くなってきたから、ベッドのタオルケットの上にとりあえず、フリースの毛布を広げた。
あちこちに置いてある椅子の上には、猫がその日の気分次第でどれかに寝るので、バスタオルをしいてやっているのだが、これも、フリースの毛布に代えてやった。
そうしたら、ほんとに偶然のたまたまだが、ベッドと椅子が同じピンク色でおそろいになって、何だかうれしくなったという、それだけの話(笑)。
このベッドは、叔母と叔父がそれぞれ使っていたセミダブルの上等のもので、寝心地がやたらいい。しかしあまりに大きいから、私が今住んでいる二つの家のそれぞれに、一台ずつおくスペースしか確保できない。それも必死で工夫してようやく可能になったのだ。
この写真の右側が洗面所で窓があり、ドアを開け放すと、反対の左側の廊下のガラス戸を開けた時に、ちょうどベッドの上半分が風の通り道になって涼しい。それも考え抜いた末に位置を決めた結果である。
ワンルームだし、クローゼットにもなる小部屋のドアには猫の出入り口がある。でも洗面所のドアにはないから、たまに私にくっついて、風呂場に来た猫が閉じこめられて、しばらく陰気にがまんした後、にゃあにゃあ鳴いて助けを呼ぶことがある。気づかずに外出でもしてしまったらどうなることかと心配なので、私は洗面所のドアは、猫の居場所を確認した後きっちり閉めるか、ドアストッパーをおいて開けておく。ゆめ、ひとりでに閉まったりするようなことのないよう気をつけている。
ところが、いろんな荷物をあちこちに置くようになると、何となくそのドアのかいわいも混雑してきて窮屈になり、ドアストッパーでとめてドアを固定しておくと、微妙にじゃまになるようになった。ドアがひらひら動く方が、何かと便利がいいのである。
これもまた、たまたま自然にできた解決策は、この、ピンクの毛布のかかっている椅子を、ちょっと動かすとドアがひっかかって、閉まらなくなるという発見だった。タオルや毛布を椅子にかぶせているので、やわらかく止まって音もたてない。そして、わずかに動かすと、これまたすぐに、ドアが閉まるようになる。
もともとは、この椅子は、ベッドの横の丸テーブルにくっつけて、お客が来たとき私が座るのだが、それを普段は後ろにひいて、この位置にしておいても、全然不自然でもなく、たたずまいも悪くない。
手首のひねりひとつで、簡単に椅子を少しだけ動かすことで、それとわからないドアストッパーになるという、このからくりも、私の気に入った。
もっとも、やがて冬になれば、このドアも閉めきりになるから、椅子を動かすこともなくなるだろうが。
誰かと共同生活をしていたら、こういう変な工夫のいろいろについて意思疎通なんかできるのかしらん。いちいち説明しても相手は覚えていなくて、もどかしくいらだつことが、これに限らずきっといろいろあるだろう。
勝手に一人でこんな発見や発明をして楽しい気持ちでいられるのは、もしかしたら相当なぜいたくなのかもしれない。そして、そんな悦楽にひたっている内に、だんだん自分にしか通じない言語や暗号を発達させて行ってるような、そこはかとない不安にもかられる。(2018.10.9.)