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(73)お墓とアザラシ

ずっと以前に田舎の墓を改修したとき、思いきって遊び半分、掃除がしやすいように高さを低くし、周囲は一面ピンクの石でしきつめるという大胆なデザインにした。

うれしまぎれに浮かれた母が、親族の誰は入れてやるが誰は入れないなどと口走りはじめたので、どうせ私たち二人が死んだら無縁仏で荒れ果てるしかないとわかっているのにと私はムカついて母とけんかし、その余勢で、自分が今住んでいる町の中の、ダム池を見下ろせる心地よい高台の墓苑に、畳二枚ほどの墓地が大安売りで分譲されていたのを衝動買いして個人墓を建てるという暴挙に出た。

一応永代供養だが、これもそんなに高い値段ではなく、大学の恩師は「そんなの君が死んで十年もしたら壊してまた誰かに売るんだよ」と呵々大笑した。
それはないにしても、こっちこそ私が死ねば即無縁仏だと思うので私は田舎と同じピンクの石の土台に、黒い四角な標石をつけ、私の名前を大きく刻んで、その下にいっしょに暮らした猫や犬の名を全部彫りこんでもらった他は、花入れも線香立てもいっさい作らなかった。田舎の墓の改修で出た、黒御影石の塊を二つ、お洒落にカットしてもらって、わが家の紋の蕨を刻み、墓石の土台の両側に唯一の飾りとしておいた。
おかげでたまにお参りに行くとき、水場の桶にくんだ水で墓石を拭いてしまうと、することがない。景色がいいので、ゆったり眼下の風景を見たり、快適な石のテーブルと椅子がある小さな広場で、本を読んだり手紙を書いたりすることもある。

けっこう大きな墓苑なのだが、堂々たる墓が林立する下の方の区画に比べると、私が墓地を買ったあたりは、山を切り開いた最上部のはしっこで、すぐ後ろはまだ森だし、小さい墓地なのもあって、若い夫婦とか一人暮らしのお年寄りとかが、それぞれに、思い思いのデザインで、ピンクの花や楽譜の一部や十字架や、「今日は来てくれてありがとう」「悠」「愛」「思い出」「誠」その他もろもろ好みの文字や絵を入れた、さまざまな形の墓を作っていて、見て歩くとなかなか楽しめる。ときどき、それに混じって小さいだけで昔ながらのきちっとした正統的な墓があったりするのも、何だか微笑ましくていい。
わりと最近、かつての大学の同僚が私のすぐ近くに同じ墓地を買って墓を建てた。「板坂さんのあれいいね。真似したよ」と言うので、行ったときに見たら本当にそっくりのかたちで、ちゃんとご家族も子どもさんもいるのだから、花入れや線香立てぐらい作っておいてもいいのにと私はあきれた。しかも私の墓よりもどことなく洗練されてスマートなかたちになっていたのが、ちょっとくやしい(笑)。

本当は標石は田舎のと同じ漆黒の黒御影にしたかった。しかし墓のデザインを一手に引き受けてがんばっている若い墓苑の担当者が(ある意味、あの自由奔放なデザインの墓が林立する一角は、彼の制作展示場みたいなものだ)、まっ黒な石はその内に白い汚れが浮いてくるからと止めるので、灰色がかった黒で妥協した。
田舎の墓石は、持ってきた一部の塊もふくめて、まったく色は変わらないのだが、改修したとき新しく作った土台の部分は見たところ同じ黒御影なのに、その担当者の若者が言ったとおり、次第に白く汚れて来た。
思えば昔、祖父が亡くなった時に田舎の墓を作ったのだが、世話してくれた近所のお百姓さんは、「この石はアフリカ産の黒御影らしい。先生もきっと好みだろうから喜んでいるだろう」と、母や叔母たちと話していた。多分今流通している黒御影はアフリカ産のじゃないのだろう。

土台のピンクの部分は前面に目立たないように「豊」の一字を彫りこんだ。私が小さいときにかわいがってくれた、お手伝いさんのようにして住みこんでいた祖母の親戚の、多分少女と言ってもいいほど若い女性の名前の一字だ。
標石にずらりと並んだ犬と猫の名前は、ゆき、バロン、キャラメル、ミルク、シルバー、みかん、もも、シナモン、バギイ、ナッツウ、アニャン、しまお、グレイス、マキ、カツジ。まだ生きてるのが最後の三匹で、あとは皆鬼籍に入った。行方不明がシルバー、ナッツウ、ミルクの三匹。よその庭で死んだことが確認できたのはしまお。他は皆、私の家で亡くなった。キャラメルとシナモンは私の腕に抱かれて死んだ。

どの一匹にも忘れられない思い出がある。まっ白いスピッツのバロンは、この中では唯一の犬で、ついでに唯一の血統書つき。私が自分で飼った生涯で唯一の犬にもなりそうだ。賢く優しく、でもどこか意志の強い、とことん優等生の犬だった。
初代猫のおゆきさんは、ペットと呼ぶには恐れ多い、私の心の支えだったし、三毛猫シナモンもいろいろ苛酷な状況の中、いつも前向きで明るい、文句を言わない最高の性格で、学ぶべきことが多かった。甲乙などはつけられないが、八歳という一番若い年齢で死んだこともあって、私が死後も溺愛しつづけたのは、金色と白のふわふわ大きな牡猫、キャラメルだった。

その性格の魅力をひと口には言えない。今飼っている長毛種の灰色がかったカツジが、これまたある意味強烈な個性の、根本的にはびびりのいじけ猫なので、それを面白がっている内、そんな屈折のまったくなかった、堂々とゆったりかまえて、べたべたせずに落ちついて甘え、けんかも強くてファイトと気品があった故キャラメルの思い出が、次第に薄らいで行くのが悲しい。
彼が死んで一年近く、私はプールで泳いでいても、街を歩いていても、すぐそばに彼がいるような気がして、それとなく笑いかけ、ひそかに声をかけていた。
「そこにいるのかい、キャラ」
本当に、金色がかった光のような毛皮と(ただの赤キジ猫って説もあるけど)、緑がかった金色の大きな丸い目を、その頃私はいつも目の前に見ている気がした。

その一方で彼が死んだ後の数日、淋しさと空虚さの中で私はどこか安心もしていた。彼は死んだ。もう誰も彼を傷つけられない。幸せに生きて、かわいがられて、手厚い看護をされて、私の腕の中で死んだ。そのことが限りない安らぎで、そのことがまたなぜか、とめどない悲しみとなってあふれた。喜びと安らぎが、そのままに果てしない悲しみにつながるという実感を、あの時初めて味わって、知った。
伯母は長いこと飼った愛犬が死んだとき、「お父さんが死んだときよりも泣いたわ」と言ったと従姉が話したことがある。私も祖父母や叔父叔母や母の死よりも、キャラメルを失ったときの方が、喪失感も文句なしに心を切り裂く悲哀も、比べ物にならないほど大きかった。

今いるカツジは、勝手に私に溺愛されているという自信を抱いては、すぐにそれを喪失して落ちこむ。時には私が、そのどっちにも気づくひまがない間に、一人でとっとと思い上がって、一人でどすんと落ちこんでいる。誰もがかわいい、美形と認める整った目鼻立ちだが、目がいつも少し不安げに泳いでいて、相当気を許して寝こけていても、何かのはずみでびくっと飛び上がって起きる。
キャラメルはまなざしにも心にも、まったくそういうゆらぎがなかった。猫ならまず例外なく恐がる掃除機さえ彼は平気で、どたっと床に横になっているわき腹に、私がヘッドを近づけて、毛が吸い込まれても、ふんという顔で半身起こして見下ろしているだけだった。

それだけに、カツジだったら、一日の内に何度でも見る、途方に暮れて自信をなくした、よるべない心細そうな表情を、数えるほどしか思い出せない。たしか全部で三度だったが、一度はどんなときだったか忘れてしまった。一度はまだほんの子猫のときに、私がうっかり玄関と居間の間の廊下に彼を閉じこめてしまって、どこにも行けないまま、廊下の隅でおしっこをしてしまった時のことだ。彼は全然悪くないので、もちろん私は怒らなかったが、小さいながらに威厳のある顔で私を見あげた、その目つき顔つきの、どうしてこんな失敗をしてしまったのだろうという、思わぬエラーをしたスポーツ選手もどきのなかば呆然とした悲しげな表情は、今思い出しても、胸がきゅうんとするほど愛しい。

もう一つが、これはすっかり大人になってからのこと。彼は遊んだり狩りをしたりするのも大好きで得意で、何度も大きな黒蛇を取ってきて、居間の私のすぐそばでもて遊ぶということもしてくれたし、一度はまだ自由に外に出かけていたとき、夜中に何か大きな獲物を取って来て、どたばた格闘したあげく、ベッドのそばでわしわしと食べ、朝になって見ると多分ウサギだと思うが、何かわからない茶色のやわらかい毛の動物の、尻のあたりらしい大きな肉塊が残っていたこともあった。その後で、椅子の上でのんびりお化粧をしている彼の白いお腹に手を載せて私は、あの動物の頭と上半身はここにおさまっているのかいと、複雑な気持ちになったものだ。

そんな彼には不要なもののはずだったのだが、私はあるとき、ふと気まぐれにペットショップで買ってきた小さい、ごく安物の毛皮で作ったネズミを与えた。思った以上に彼はそれが気に入って、狂喜乱舞して放りあげたりはたいたりして長いこと遊び、さて疲れたのか、腰を落として、いよいよごちそうを食べようと歯をたてた。
もちろん本物ではないから、彼が牙で裂いた毛皮の中からは、泥のような黒っぽいつめものが出てきただけだった。
その時、目を上げて私を見た彼の、あってあられぬことが起こって、天地の秩序がひっくりかえって、もう何も信じられないという、当惑と困惑の表情は、文字通り私の心を刺し貫いた。カツジとは言わないが、へまをよくするアホな猫ならちょっと笑ってそのまま忘れたかもしれない。いつも立派で堂々として弱みも見せない、そもそもこれと言った弱みもないような強く賢い猫の、その顔だったからこそ、私の方がショックを受けて、どうおわびをしていいかわからなかった。
急いでネズミを取りあげて隠し、代わりに鶏肉を煮てやって食べさせてごまかしたのを覚えている。それでも彼の心の傷が癒えたとは思えなかった。

偉い父親や、頼もしい恋人の、見てはならない姿を見たような、申し訳なさと恥ずかしさと混乱もあった。でも、その時キャラメルが私に見せた、びっくりしながら困った顔は、ふだんの彼の頼もしい落ちつきっぷりと相まって、彼に対する私の愛を今でも何倍にも増幅する。
とりあえずネズミはしまったが、何となく捨てるのもはばかられて、そのままにしたのは、キャラメルが見せたあの時の顔が幻ではなく現実だったことを確認しつづけたかったのかもしれない。そうでないと夢かと思ってしまいそうなほど、めったにないこと、考えられないことだったからだ。
先日、書庫のすみで、何十年かぶりに、そのネズミを見つけた。キャラメルの墓前にそなえるのはとんでもないし、思い出の品々を入れている箱にもちょっと入れたら気の毒な気がして、結局またそのままにした。

キャラメルは足腰の弱いカツジとはちがって、どんな高いところにも飛び上がる。外国旅行によく行く友人が買ってきてくれた、多分最初に近いころのお土産に北欧かどこかの、本物なのかどうなのか針のような毛が密生した皮で作った小さなアザラシのぬいぐるみがあって、私は大切にしていたが、ネズミがあんなに好きなキャラメルの目に触れないよう、いつも戸棚に隠していた。
その後、亡くなった叔母の荷物の中に、やはり外国によく行っていたから、お土産用に買ったのか、同じようなぬいぐるみがいくつか見つかった。ただし友人がくれたものは、そのどれよりも、少しだけ大きく立派で、長いこと大事にしていたから、私にはすぐ見分けがついて、だから安心して、いっしょにしまっていた。

最近いろんなものを片づけていて、人にあげられないものについては、なるべく見せて飾ることにした。行きつけの雑貨屋で、針金で作った小さい壁掛け用の棚があり、下にぶらさがっているほうきや包丁や熊手が何だか意味不明だが、ちょっとサーカスや動物園の小屋の備品にも見えないことはないとこじつけ、それを壁にかけて、くだんのぬいぐるみを並べてみた。
飾って写真を撮ったあとで、また一匹見つかったので、写真を撮り直したりしたが、何しろこの得体の知れなさが、なかなか私の家らしくてよい。
それにしても、キャラメルを幻滅させた、あのネズミのおもちゃの処遇も、捨てるか飾るかそろそろ決めねばなるまいなあと、アザラシの寝そべっている棚を見あげるたびに思ってしまう。

ところでキャラメルについてはもうひとつ、しょうもないけど、とっておきの思い出がある。何度も書いたり話したりしたが、ここで書いて最後にしよう。
一人暮らしだと家の中ではとんでもないかっこうをしてしまうもので、ある日私は風呂上がりに一糸まとわぬすっ裸のまま、フローリングの板張りの床にしゃがんで、猫のトイレを掃除していた。ちょうどやって来たキャラメルが私の背後でうろうろ歩きまわっていて、とっさに私は頭のすみで、自分は女だからいいけれど、もしも男性だったら、この姿勢ではちょうどキャラメルの目の前に、男性器がぶらぶら下がることになり、キャラメルがそれに注目して攻撃するかもしれないと、さぞ心配なことだろうと、ちらと思った。

まさにその瞬間、キャラメルの前脚が、私のしゃがんだ足の間の、絶対に何もないはずの空間にくり出されて、パンチの余波のように毛におおわれた足先が私の内ももに軽くぶつかった。
当然私は仰天した。やつは一体何を見たのだ。何もないはずの空間に。
猫というのは、攻撃して猫パンチをすると、すぐにぱっと飛びのいて退却して次の攻撃にそなえる。だから私が、ななな何!?とふり向いた時には、彼は飛びすさってどっかに消えて、姿はどこにももうなかった。

いったいどうしたのだ、猫にしか見えない男性器が私にあったとでもいうのかと、トイレ用のスコップを手にしたまま、一瞬硬直した私はしかしすぐ、ことの真相に気づいた。私はその時生理中でタンポンを使用していた。内装生理用品のうたい文句どおり、あれはいったん装着すると、まったく使用感がない。
余談もいいところの余談だが、この数十年、同じ生理用品でも、ナプキンの方は改良に改良を重ねて、すばらしく使い心地がよくなっているのに、タンポンの方はさほど変化がないし使用者も増えていないような気がするのは、もしや女性の社会進出に消極的な社会の趨勢、保守派の陰謀ではあるまいかと、超過激なフェミニズム的な邪推をしてみたくなるほど、使っているのを意識しないですむのが、内装生理用品、商品名はタンポンとかタンパックスとか呼ばれるものだ。

使ったことのない人に説明すると、筒状のスポンジを膣に深く挿入するから、交換時のためについた紐が、股の間に垂れ下がる。たしか昔、新聞か週刊誌の投書欄で、銭湯で子どもが「ママ、あのお姉ちゃん、しっぽがある」と言うので、「つまらないこと言うんじゃありません」と叱ってふと見たら、本当に若い女性の何人もが、タンポンの紐を下げていた、と笑い話を報告していた人がいた。当時はそれほど盛んに使われていたということかもしれない。
キャラメルが男性器の代わりに私の股間に見て、攻撃したのはそれだった。細い紐だからかえって目につき気になったのかもしれない。

謎が解けた満足感もあって、私はこの話を誰かにしたくてたまらなかったが、当時はネットもブログもなかった。欲求不満のまま、翌朝大学の研究室に行くと、指導学生の男子生徒が一人で勉強していたので、私は大喜びで彼にこの話を細かい点までして聞かせた。今考えればセクハラと言われてもしかたがないが、ふだんからろくな話をしていなかったからか、彼はきわめて冷静に、「先生、それ、男だったら死んでますよ」とコメントし、「あれは女の人には絶対にわからないです。もう地球がまっぷたつに割れたみたいな衝撃ですから」とつけ加えて、そんなもんかと私はひとつ勉強をした。

キャラメルの外国製の人形のような、ふしぎなかぐわしい体臭、私の耳をしゃぶるのが好きだった、暖かいざらざらの舌、長短二層の毛でおおわれたふわふわの毛皮、横縞模様の太いしっぽ、独特の少しかすれた低い声など、数知れない思い出の中に、あの一瞬、私の太ももを風のようにかすめた、柔らかい前脚の指先の感触も今なお、しっかり残っている。(2018.10.10.)

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カツジ猫