(75)中継地点
ことの起こりは、私の猫が気に入って食べていた「おやつ」とかいう商標の猫のエサが発売中止になったことである。
最近登場し始めた「ちゅーる」というやわらかい猫のエサは、どんな猫でも魅了されるらしく、うちの猫たちももちろん皆大好きだ。しかし、灰色の長毛種で身体はでかそうに見えるが、どことなく危なっかしい神経質な若い猫だけは、好みがうるさく、その「ちゅーる」でさえ、無条件では食べないで種類によっては残す。彼が無条件でぺろりと平らげていたのは、四角く平たいパックに入った、この「おやつ」だけだった。
それが次第に棚からなくなって行くのに不安を感じた私は店に確かめ、いずれは販売中止になるらしいと聞いて、その会社に電話して、一番似た製品はどれなのか聞いたりした。幸いその後しばらくすると、どうやら見た目や触感から察するに、ほぼ「おやつ」に近い製品が新たに発売されて、その「スティック状」と書かれた銘柄だけは猫も完食するようになって、一安心した。
ところが、この新製品も、他の「ちゅーる」的製品と同じく、細長いパックに入って、押し出して猫に食べさせるようになっている。それでどうなるかというと、押し出したあと、水ですすいでも、前の平たい四角いパックのように、徹底的にきれいに洗ってしまえない。前の「おやつ」は、一枚の紙のように開いて広げられたから、スポンジでごしごし洗ってしまえたが、細長いパックではそこまではきれいにできない。
食品を包んだポリ容器やプラスティックは再生可能な資源ごみで捨てられる。これはもちろん、きれいに洗う。そこまできれいにできない、ラップなどは、ざっと洗った上で、小さいポリ袋に入れて口をしばって、燃えるごみ用の、臭いの漏れない、ほうろうの小さめのポリバケツに入れ、たまると戸外のゴミ入れに移す。
小さいポリ袋は、パンやお菓子が入っていたものなどを取っておいて使うが、ときどきそれが少なくなって惜しげなく包んで縛って捨てられないことがある。猫は日に数回、「ちゅーる」をもらうので、毎回そのパックをポリ袋に入れて捨てていると、足りなくなってしまうのだ。
洗っているからいいかと思って、そのままバケツに入れておくと、開けたときにやはりかすかに臭いがし、時にはコバエがいたりする。せめて、ポリ袋がいっぱいになるぐらいためてから、口を縛ってバケツに入れたいのだが、その中継地点にしておく場所がない。ついついシンクの片隅にためておいたりして、見た目も悪いし、イライラする。前の平たいパックだったら、徹底的に洗えて、こんなことはなかったのになあと、私は毎回恨めしかった。
恨めしついでに書いておくと、私は古い方の家で飼っている高齢牝猫二匹には、猫草と、かなり上等のかんづめを、常食のドライフード以外にサービスしている。今のかんづめは上等のせいか、たまたまなのか、捨てる前にスポンジやブラシで洗うとすぐに、だいたいきれいになる。
ところがメーカーによっては、空になった缶を捨てる前に洗うと、必ず絶対もうまちがいなく、底のふちの溝あたりに、エサが残って、最後はフォークやつまようじでかき出さないと完璧にきれいにならない。
洗ったかんづめは資源ごみとして出す。その際汚れた金属は別にされ、きれいに洗ったものだけが、合格して「かん」というケースに入れて持って行かれる。少なくとも私の地域の集積場ではそうである。
もちろん、私たちの方で、その仕分けをして持って行かなければならない。ケースの前で管理だか監督だかをしている、主としておじさんたち(たまにはおばさんもいる)は、作業着を着て身をやつしているが、どことなく品がよく物腰もこなれていて、多分停年前には会社の役職でもしていたのじゃないかと思えるような落ちつきがある。
だから、口汚くののしったり、失礼な対応をすることは、絶対にない。しかし、目ざとくチェックしていて、汚れたかんがあれば、「金属」のかごの方に移し替える。もともと私は猫のかんづめは皆「金属」の方に出していたのを、ある日おじさんの一人が「こんなにちゃんと洗っているなら、こっちでいいですよ」と言って、「かん」の方に入れさせたのだ。
そういうこともあるからして、汚れたものは持って行きたくない。また普段ならそんなに手間ではなく、さっと洗えばきれいになるから、さほどの負担ではない。
ところが、明らかにいくつかのあるメーカーの製品だけは、残ったエサが絶対に、底の溝に食いこんで、はまりこんで、こびりついて、とれないようになっているのだ。
猫を飼う人ならだいたい知っているように、お気に入りの銘柄にこだわる猫もいる一方、いろいろ変化をつけないと気に入らない猫もいる。一匹の中にも、その両方の傾向が混在する。
だから、山ほどある、さまざまな銘柄を、それぞれ一個ずつ二十個近く買って帰るのが珍しくない。むしろ普通だ。
一度、たった一度だけだが、いつも猫のエサを買う量販店で、私のかごから出した缶詰の山をレジに通そうとしていて、それが一個ずつ異なる銘柄なのに気づいた担当の女性が、「えー?」と舌うちかため息に限りなく近い声をもらしたのに、私は自分でも驚くほどあきれて怒り、もちろん顔には出さなかったが、そんなの猫を飼っていればあたりまえのことで、何を客の商品の買い方に文句つけてるんだと心の中で毒づいた。その時も思ったが、多分パートを始めたばかりの人か何かだったのだろう。それにしても知識不足というだけでなく、基本的な心構えがなっちょらんとは思ったが、店に抗議するのもあほらしく、その精神で勝手に自滅しやがれと思って放置した。多分それ以後見かけたことはない気がするから、長続きしなかったのかもしれないし、思わぬ出世をしたのかもしれない。
何を言いたいかというと、そのように、あらゆる種類や銘柄の缶詰を買ってしまうので、底にこびりつく缶詰を作るメーカーがどこなのか、いちいち覚えてチェックして二度と買わないようにするヒマなどないということだ。
そもそも、そんなヒマがあるなら私も別にイライラはしないわけで、私のような定年後の時間に余裕がある者でも、猫のトイレ掃除やエサやりは毎日けっこう忙しく、時間との勝負になりやすい。一分一秒のコンマ以下を争うような、そんなときに、さっとすすいだだけで汚れがほぼ取れる空き缶と、底や周囲にはりついたエサがどうしても取れない空き缶とでは、雲泥どころではない差がある。
もし、メーカーをチェックして記憶に残せる余裕があるなら、猫がどんなに好きで喜んで食べようとも、そんな手間ひまかけさせる構造の缶詰を作るメーカーのものを私は買おうと思わないだろう。
ときどき、ブラシやつまようじを総動員しても、結局汚れが完全にはとれない、腹立たしい空き缶を、あきらめて「金属」用の袋に放りこみながら、私はいったい全体ここのメーカーは、こういう実態を把握しているのだろうかと考えた。そして、エサのおいしさや栄養や食べ心地を真剣に研究し、よりよいおいしいものを作ろうと日夜努力を重ねて成果も出しているだろう、その会社の食品担当部門のスタッフたちは、そうした自分たちの血のにじむような日々の努力が鈍感でアホで不誠実で不勉強で怠惰な容器製造担当部門のスタッフたち(だってそうだろ、少しでもやる気やサービス精神があるなら、自分らがまず、缶詰をあけて、猫にやってみて、その後洗って片づけて捨てるまでの、客の行程をちゃんと試して追体験するぐらいの手間ひまはかけてみようとしないかな、フツー)の手によって、水泡に帰し無駄に終わっていることを、ちっとも知らないんだろうなと思っては、索漠とした気分になった。
猫の雑誌やペットの雑誌に投稿して、注意をうながしてやろうかとも何度か考えたが、これまたそんな時間をさくのも腹が立つと思って、やめておいた。もしも、これを読まれた方が、代わってどこかで発言なり投書なりして下さるなら、もちろん大歓迎である。
で、また「ちゅーる」の袋の話に戻るが、はさみで切り開いて中を洗うまでの手間をかけるのもアホらしいし、結局これは、ほうろうバケツとは別に、「小さいポリ袋がいっぱいになるまで、汚れたものを入れておく」中継地点をもう一つ作るしかないという結論になった。
何かよいものはないかと、家の中を物色していたら、二階のすみっこにあった、小さい花模様の金属製のゴミ入れに気づいた。いつ買ったのかも覚えていないが、二階で、ちょっとしたゴミが出たときに入れておくのに使おうとしたのだろう。実際にはほとんど使ったことがなかった。今ではここには、大きな籐のかごのくずかごがおいてあって、きちんと活躍してくれている。
これならどうかと、新しい方の家の台所に持って来た。ほうろうのバケツの横におくと見た感じも悪くなく、大きさもちょうどぴったりだった。二階で長い間に色あせたのか、前からそんな色だったか、妙にアンティークっぽいのもいいし、金属製かふたも重くて、きちんと閉まってくれるのがいい。コバエも何とかつかないでいるようだ。猫用食品メーカーの方針変更の結果、欠かせない役割を担うことになったのは、この容器にとっては幸運だったのかもしれない。(2018.10.16.)