(92)羊と豚と猫たちと
断捨離をする人にとって、欠かせないのはバザーやフリーマーケットだろう。私もたびたび利用して、いろんなものをわんさか出した。出したもののほとんどは覚えていないが、多分外国製らしい、かなり大きな陶器のオルゴールは記憶に残っている。帽子をかぶった赤っ鼻のおじさんが、椅子に座ってトランペットを吹いている、楽しげですこし物悲しげな、上等そうなオルゴールだった。叔母の家の棚にずっと飾ってあったのだが、亡くなった後に私が引き取ったときは、壊れて鳴らなくなっていた。
私はそれを、由布院のオルゴールの店に持って行って修理を頼み、ちゃんと鳴るようにした。時間がなかったので、できあがったら田舎の母の家に直接送ってもらうことにして、母にお金を渡して、着払いの手続きを教えた。母はふんふんと言って聞いていたが、まだしっかりしていたとは言え、慣れない手続きをさせて大丈夫かと私は気がかりだった。
だが母は、何事もなく、着払いをすませて荷物を引き取り、私が帰省したときにはオルゴールを楽しそうに聞いていた。曲は「聖者の行進」だった。
よかったと胸をなでおろし、母はまだまだ何でもできるという安心感もあって、私はうれしく、その曲を聞いた。その後、猫が落として壊したりしたらいけないからと、当時はまだ売ってなかった、古い母家の出窓に置くようにしたが、帰省してそこに行くたび、日差しを浴びてトランペットを吹いているおじさんは、私を迎えてくれて、何となく私を微笑ませた。
母が、健康食品や健康器具の怪しげな業者の食い物になり、さまざまな会社から高額の薬や品物を山ほど送りつけられて、百万や二百万ではすまない大金をむしりとられていることに私が気づいたのは、それから間もなくである。おかしな機器や領収書を家のあちこちに見つけて母に尋ねている内に、だんだん、とんでもないことになっているのがわかって来た。私は激怒して、業者に電話をかけて断り、消費者センターに何度も相談に行き、忙しい仕事や研究や片づけ仕事の合間に、狂ったようにその対処に走り回った。
何よりも私を打ちのめした虚しさと怒りは、母が私に嘘をつきつづけ、すべてを隠していたことだ。何でも相談し、共通の敵と戦って来たつもりでいたのが、そうでなかったという幻滅は私の身体中から愛情も力も抜いた。あの時期、私を支えて前進させたのは、ただもう怒りだけだった。今もまだ、その時の健康食品が、いけしゃあしゃあとテレビでコマーシャルなど流しているのを見ると、棒でも持って会社に殴り込みに行きたくなる。きっと私のような家族を全国で限りなく、おまえたちは生み出しているのだろうなと私はテレビにむかって毒づく。
健康食品だけではなかった。母は、屋根の修理や家の修理、庭の植木の剪定などで、これまたシロウト同然のおかしな業者につかまって、それこそ一千万近くの金を取られてもいた。こういう業者は連絡をとりあっていて、あそこはカモになると思ったら、ハイエナかハゲタカのように、群れをなしてやって来るのだ。昔ながらに業者を信用して好意をもっておおらかにまかせるやり方の母は、彼らにとってはただのバカな金づるだった。
入院していた叔母の病室で、声が聞こえないようにトイレに入って電話で業者とどなりあい、墓の修理を母が頼んだ業者を追い払うために、山の上の墓に縄を回して、警告の札や張り紙をつけまくり、町内会の役員からあれは何とかしてくれませんかと泣きつかれもし、家の前にはでかでかと立ち入り禁止の手作りの立て札を立て、私は彼らを数年かけて追い払った。母が私に敵意を抱いて業者とつるんで結託したら目もあてられないと思ったから、母には文句をいっさい言わず、せいぜい優しくしていたが、ひそかな憎しみはその分つのるばかりだった。母は九十近い高齢で一人で田舎の家を守り、その義務を果たすために、家の補修と自分の健康にはお金を惜しむまいと思ったことも、結局は母を信じてまかせていた自分のせいということも、理屈としてはわかるだけに、なおのこと、やりきれなかった。
窓辺のトランペットを吹くおじさんのオルゴールを見ても、陽気なメロディーを聞いても、なぐさめられることはなくなった。母は送りつけられる薬や器具の支払いで、着払いには慣れていたのだともう私にはわかっていた。その数年前、母と町に出たときに、ピーター・マッケンジーの大きなかわいい絵画を見て、二人で気に入り、多分五十万かそこらのその絵を衝動買いしたときに、いつも倹約家で、私の買い物はとめる母が、わりと平然としていたのも、この人は芸術や絵画にはお金を惜しまないからなと何となく納得していたのだが、ひょっとしたらもうあの頃から、このくらいの浪費は母には日常化していたのかもしれないとも思い出された。楽しい、安らぐ思い出の数々は、こうやって、みるみる、ぱたんぱたんと裏返って行くトランプのように、裏切られていた自分の愚かさを自嘲する、苦い暗さに染め替えられて行く。
その絵は、母の隠居所に建てた、田舎の新しい家の玄関にずっとかけていたし、母が老人ホームに入ってからは、工夫して、部屋の中の机にのせて、母が死ぬまでそこにあった。部屋を退去するときに、ホームに寄付した。「明るい絵がほしかったんです」と、スタッフの人たちは喜んでくれて、そんなかたちで手放せたことに私は少し救われた。
オルゴールの方は、その前に、近くの教会のバザーに出した。立派なものだし、音楽は「聖者の行進」だし、きっと売れるだろうと思った。絵にしても、オルゴールにしても、愛着がありすぎて手放せなかったら、私はきっと持て余したろうと思うから、そういう苦い思い出がある方が、とどのつまりは、よかったのかもしれない。
赤っ鼻のトランペットおじさんは、多分よい住み家を見つけているだろう。しかしバザーというものは、当然売れなくて余るものもあるだろうし、それは捨てられることも予想しておかなくてはならない。
私はこれは売れないだろうというものはバザーには出さないで自分で使う(だから、がらくたが減らない)。その一方で、ものすごく変な気持ちが働いて、バザーへの感謝の寄付のような思いで、まだまだ好きで手放す気のしないものを、ちょっと混ぜたり加えたりしてしまうのは、祭壇に犠牲を捧げる古代の村人みたいな気分なんだろうか。
で、そういうことはするものではない、という教訓が以下だ。
忘れもしない未年だったから、もう五年も前になる。近くの民主的なグループの人たちがバザーをするというので、服や食器や、いろんなものを持って行った。その時に、買ったばかりで、気に入ってもいた、小さい可愛らしい二匹の羊の置物があって、今年の干支だし、これは誰かが買うだろうからと、それも出した。
バザーにもうひとつ教訓があるとするなら、出した品物の行方など見届けようとするものではない。
いつもは私もそんなことはしないのだが、その時は手伝いもかねてちょっとのぞいた。そうしたら、もっぱら実用的なものが中心のそのバザーでは、私の羊の置物は小さくて目立たず、明らかに場違いだった。まあ自分で買ってもいいかと思っていたら、バザーが終わって片づける段になったら、あっという間に売れなかった雑貨類は箱に放り込まれて、これはまとめて市のごみ集積場に捨ててくると言って、顔見知りの男性が、もう軽トラを出そうとしていた。
私はあわてて、箱に飛びつき、放り込まれている雑貨の中から羊たちを探したが、小さすぎて下に落ちてしまって見つからない。やっとのことで敷板と一匹は見つけたが、もう一匹は見つからないまま、忙しく皆が立ち働く中、あまり邪魔もできないで、軽トラは出て行ってしまった。
まずいことに私は昔、大きなごみを捨てるときに、何度かその集積場には行っている。入り口で車の重量を量り、中の巨大な穴の中にごみを捨てて、帰りにまた量った重さとの差額で料金を払うという、ひと気もない大きな建物で、真っ暗のコンクリートの底しれぬ穴の中にごみが落下して行く様子はスリリングでもあった。
しかし、あの中に、指先ほどの大きさしかない羊の置物が、落ちて行く様子を想像すると、宇宙空間に消えて行く友人を見るような切なさがこみ上げた。母の時と同様に、結局自分のせいだと思うと、ますます意気消沈した。
一匹残った羊を、仏壇の上の小さな空間に飾ったが、見るたびにもう一匹が思い出されて憂鬱になり、せめて淋しくないようにと、以前に大学の事務員さんからもらった、小さい猫の置物を代わりにおいた。ところが、ついこの間、同じような猫がもう一匹、荷物の中から転がり出て来た。もしかしたら最初からカップルでいただいていたのかもしれない。こちらは少しだけ大きく、親子なのかもしれなかった。
引き離しておくのはかわいそうだが、いっしょにすると、羊がまた淋しいかなあと、いつもの私のアホな妄想をはためかせて、うじうじしていたある日、久しぶりに町に出て、和紙を売っているお店に入った。プレゼントを買う時によく行く店だが、最近あまり町に行くこともなかった欲求不満で、しょうもない小物をいくつか買いこみ、まったくあてのない衝動買いで、「和な豚」という小さい豚の置物まで買った。だいたいが、この店では買おうと思ってやめておくと、後でどうしても必要になり、また出直すということが、何度かあったからである。
豚の顔も何だか気に入ったのだ。同じ商品の新しいのを出してくれたのに、微妙に顔がちがうからと、展示してあったのをもらって帰った。
またバカな買い物をしたと反省しながら過ごした数日後、ひょいと気づいて、羊の横の猫をどけて、代わりに豚をおいて見た。羊に比べて少し大きいが偶然にも、同じ金色の部分もあって、どこやら仲間に見えなくもない。
これならいいかと、それまでの猫は猫で、田舎の家で昔使っていた、古いステンドグラス風のコースターにのせて、もう一匹といっしょに飾ってやることにした。
めでたし、めでたし。
暗い集積場の闇の中に消えて行った、もう一匹の羊が、異空間を通り抜ける間に、少し大きな豚くんになって戻って来たと空想してもいいが、私はそんな風には考えない。
笑われるかもしれないが、私は映画のパラレルワールドもので、たとえば残酷に拷問にあって殺された恋人を救うべく、時をさかのぼって犯人を殺してその犯罪を未然に防ぎ、殺されなかった恋人と幸福なハッピーエンドを迎える、といった話を楽しむし祝福もするが、いつもその一方でかすかに、じゃあの苦しみぬいて死んで行った恋人の方はどうなったんだろうと考える。時空のどこかで今も苦しみ、誰にも知られず考えられないまま、どんなに孤独に苦しみ続けているのだろうと思ってしまう。同様に、未来を変えられて救われた、別の不幸な世界でも、いったんは存在したその世界が消えてしまうことはなく、そこの住人たちは今もどこかに不幸なままでいるような気がしてならない。
愛猫のキャラメルは最盛時には七キロもある、ふかふか太った金色と白の、堂々とした強い猫だった。彼が優雅にしなやかに、私の前の、こたつの向こうを横切って走っていく姿を今も忘れない。でも白血病で死ぬ直前、板のようにやせこけて、よろよろと同じ場所を歩いて行く彼の姿も、私はなつかしいし忘れない。
いい時だけを、きれいな時だけを、覚えていようとは思わない。醜くなって不幸になって苦しんでいる時の彼を、忘れて孤独にしてしまいたくないからだ。そんな時の彼は、私に忘れられてしまったら、どんなに淋しいだろうと思うからだ。ひどい、苦しい死に方をしたのならそれだけ、その瞬間にそばにいて、いつまでもいつまでも抱きしめていてやりたい。どんな姿になっても決して忘れずに。
いなくなった、もう一匹の羊も、それと同じで、かけがえはないし、忘れはしない。でも、残った羊が忘れて「和な豚」さんと仲良く幸福になってるのなら、それはそれでいい。かわりに私が覚えておくから。安心して忘れてもらっていいから。(2019.8.1.)