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「ああ、やっぱりね」と、きっと母は言った。

◇今朝の毎日新聞に、IS(「イスラム国」を使うのはいかんというのはもっともだが、こういう電気器具みたいなアルファベットの略称も好かんのよねえ)に殺された人質の後藤さんは、洗礼を受けたクリスチャンだったと書いてあった。
ISに反感持たれる危険もあるから、伏せられていた情報なのだろうが、何となくそんな気はしていた。
もう一人の人質で前に殺された湯川さんを助けるために、現地に行ったという話で、「そんなことは信じられない」と言う人もいたが、クリスチャンならあるかもなあ、そんなに不自然でもないよなあとぼんやり思っていた。

それだったら、彼は死ぬ時も神がともにいると感じてそんなに淋しくはなかっただろうと、こちらが救われる思いも私の心のどこかにはある。いっそう深く増した痛みの中で。

◇96歳の私の母は、キリスト教系の短大に通っていたが、信者だけが大切にされるのに反発して洗礼も受けなかったし、聖書に「こんなのはウソ」とか書きこんで(それを卒業のとき古本屋に売ったそうで、「買った人はさぞたまげたろう」とか言っていた)卒業式の日に校門で会った友人に「もう二度とここには来ない」と、捨て台詞を残して去って、実際二度と母校に足踏みしなかったらしい。

それでも、子どもの私を近くの教会に通わせ、キリスト教の精神を何かにつけて尊重していた。
それは共産党の人たちを尊敬し信頼するのと共通していて、「平和を愛する」「自分を犠牲にする」「人のためにつくす」「弱い者を守る」「強い者と戦う」「孤独を恐れない」あたりがポイントだったようだ。
言うまでもなく、これらを守っていたら、他ならぬキリスト教や共産党と対立してしまう場合もきっとあるだろうが、幸か不幸か母の生涯にそういうことは起こらなかった。
もし起こったら、迷わず対立しただろうなとも思う。あ、そうか、短大時代は対立していたわけだものな(笑)。

◇新聞もテレビも熱心に読み、私といっしょに小説やその他の本もたいがい読んで、いろんなニュースや情報にも詳しかった母は、ときどき、そういう話の中で、誰かがクリスチャンだったとわかると、「ああ、やっぱりね」とよく口にした。そうではないかと思っていた、あのような行動はそれでこそ理解できるというニュアンスで。

今、母はさらさらの認知症ではないまでも、複雑な話は理解できない。私はいろんなニュースを一応母に解説するし母も「ふうん」と聞いているが、あまりわかってはいないようだ。人質事件の話もしたが、多分ほとんどわかっていない。
少しでも理解できるころだったら、後藤さんがクリスチャンだと言ったら、絶対に母は「ああ、やっぱりそうだったのね」と言っただろうと思うと、その納得を共有する相手がいなくなったのが、妙にものたりない。共産党っぽい人たちなら私の周囲にまだいるが、キリスト教関係の知り合いが今いないので、この感覚を理解しあえる場がないのを、こんな時にあらためて気づく。
かと言って、今さら交友関係を広げる気もまるでないし、しゃあないから、この前買った、ちっちゃいマリア像にでもお話しておくことにするか。

◇今日は久しぶりに下の家に掃除機をかけ、ベッドの毛布を洗濯しました。あっ、カツジ猫のトイレの砂場の砂を広げてやるのを忘れてた。
亡くなった黒猫バギイにと、オレンジのバラとユリをいただいたので、ありがたく、上の家の玄関に飾りました。明日こそは、上の家を徹底的に片づけないと。

◇よそのツイログで拝見した、難民の方々を救おうという呼びかけのアドレスを紹介しておきます。ISやら軍事産業やら、世界を暴力や戦火にまきこもうとする勢力が、連携プレーをするのなら、せめてこっちもこのくらいのことはして、犠牲になる人を救います。もはや、「古事記」のイザナギとイザナミの「そっちが1000人殺すなら、こっちは1500人生かす」って心境よ。拡散も含めて、ご協力お願いします。時間もあまりなさそうだし。

https://readyfor.jp/projects/ja4refugees

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カツジ猫