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「インシテミル」感想、かな?(3)。

(しゃくだけど続けます。)

まーでも、人をなめてはいかんから、確信犯で計算して、女性だけに炊事をさせ、料理をさせるという、原作にない設定をして、古きよき時代を回顧し夢見る喜びを、観客に与えようとしているとしましょう。でも、それが成功してるのかな。

実はこの原作を映画化すると知って、「何もわざわざあれでなくても」とちょっと唖然としたぐらい、この小説は映画にしにくい。あ、この小説は映画にしやすいだろうけど、この小説の魅力は映画にしにくい。
これって、ミステリマニアのためのオタク小説で、言いかえればすごい教養主義の知識を楽しむ小説です。ほとんど、それだけかもしれない。ダサいとかキモいとか言われたり、自分たちでもそう思ってるらしいオタクですが、実はオタクって知識人、教養人の典型で、貴族的でお洒落の極致なわけですが、そのことをさらっとあたりまえのように証明してるという点でも、この小説は実にもう、大したもんです。

殺人ゲームが続いても、それはお遊びで、どこか優雅で、というのもぜいたくでのどかな金持ちの趣味っぽいミステリの世界です。血が流れようが骨が砕けようが、だから決して生々しくない。ゴージャスで、現実離れしてる。それは決して悪趣味じゃないし、社会正義で切ってすてられるようなものじゃない。

そりゃもう、ある意味病気だし異常でさあねお客さん。上品な紳士淑女が紅茶やワイン片手に、殺人話に酔いしれるのは。でも、それは人類が長くかかって築き上げたミステリ文化の伝統で、人類の貴重な財産です。ついでに言うと、文学ってのがそもそもそうでしょ。姦通だの親殺し子殺しだの心中だの、社会常識的法律的には絶対許されない世界を描いて、否定も評価もしないのが文学です。

「インシテミル」は、さらっとラフなようでいて、確実にそういう要求に答える、そういう世界を描き出してるミステリ小説です。あり得ない、あり得るわけがない設定を笑って認めて、その中で遊ぶお話です。だから、金に糸目をつけちゃいけないぜいたくさと、生活の臭いがかけらもしない非現実さが不可欠です。

映画のラストで、哀れっぽくみじめったらしく(私の感情入ってるけんね。笑)料理をしたり給仕をしたりしている女性は、原作では家事どころか箸一本も動かさないようなお嬢さまです。それを、たたずまいで雰囲気で、ただいるだけで全身で示しているような女性です。このゲームに参加した理由を聞かれて彼女は金が必要だったからと答えるのですが、その額を聞かれると、優雅に指を一本あげて「これだけです」と言うだけで、誰も思わず「はー」と思うだけで、それがいくらかは最後までわからないままです。ひょっとしたら一兆かもしれない。とさえ思わせる存在です。

彼女は決して動揺せずあわてず、終始優雅で冷静です。派手ではないけどとことん高貴で上品で、周囲を拒絶はしないけれど、すべてを超越した存在です。小説ではその役割も存在も実にみごとに効果的です。
つくづく見ていて残念なのは、演じた女優の綾瀬はるかは、このイメージに合っていたことです。彼女なら、原作そのもののこの女性でもみごとに演じたことでしょう。ただ設定もちがっているので、彼女の雰囲気は原作よりずっと地味で服装もぱっとしません。まあ、映画の設定にはそれでいいのですが。

ただ、この、どこもとげとげしくないけれど近寄りがたい高貴さを持つ不思議で魅力的なヒロイン(米澤穂信の小説におなじみのキャラです)を、そのへんにうじゃうじゃいる現実の平凡な女性にひきおろしたことが、象徴的に示すように、映画は原作のあらゆる洒落た部分、ケバくはないけど徹底的にゴージャスな要素を、これでもかと削り落とし、泥臭い、どたどたした、薄汚い、便所と台所の臭いがする現実社会と健全な社会常識の中に投げこんでしまっています。そういう映画もあっていいし、映画としてはそこそこ完成して破綻もありませんけれど、何もこの原作にしなくてもよかったでしょうに。監督が作ろうとした、そこそこ作った映画のためには、むしろ邪魔になる原作ですよ、これは。

私は「バトル・ロワイヤル」は原作も映画もどっちもけっこう好きだったのです。あれは、この逆で、小説の方が泥臭く健全で、映画の方がシュールにぶっとんでいました。そして、どっちもいい味出してました。
今回はそれは逆なのですが、映画が小説と並び立っていません。だから、小説の壊れた、失われた部分だけがやたら目につくのです。小説が映画をつまらなくする足かせにしかなっていないのです。

ちぇっ、こんな映画にこんな長文を書いてしまったのが、つくづく不覚です。もう忘れよう、永遠に(笑)。

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カツジ猫