「ダウントン・アビー」断想(1)
海外ドラマ(映画も含む)「ダウントン・アビー」に関する、思いつくままのあれこれ。いずれ「空想の森」コーナーに移しますが、さしあたりはこちらで。
私がこのドラマを初めて知ったのは、友人に教えてもらったのだ。そのとき彼女はどう言ったかというと、「大きなお屋敷というのは、下働きの人たちの仕事がすごく多くて、それで支えられているというのがわかった。そこにはまったく別の世界が動いている」というようなことで、そこに一番強烈な印象を受けていたようだった。
たしかにそれを痛感、実感させられるドラマだが、それを聞いたとき私はとっさに、そりゃまあそうだろうと思って、目からウロコという感じは受けず、彼女の感動を共有できなかった気がする。
何でかというと、多分そのころか、その少し前かに、ラッセル・クロウ主演の「マスター・アンド・コマンダー」という海洋ものの映画を見ていたからで、これは帆船の戦闘や生活を描く、大変よくできた映画だった。その中で、船が動くということは、ものすごくいろいろな人たちの仕事が組み合わさって成り立っていて、会社組織や工場なみの共同作業なんだということを、これでもかというぐらい見せつけられていたから、ああきっとああいうことなんだなと思ったのだ。
その前に「パイレーツ・オブ・カリビアン」が大ヒットしていて、あれはあれでまあ面白いし楽しめる海賊映画だけど、どうかすると帆船ひとつ動かすのに二人ぐらいでやってるんじゃないか、やれるんじゃないかという描き方だったから、その点でも印象は強烈だった。
そして、「パイレーツ・オブ・カリビアン」は大人気でいくつも続編ができたが、「マスター・アンド・コマンダー」以降の作品では、さすがにちょっと数人で船を動かしているような描写も出てきたから、思わず映画館でこっそり笑ったりしたっけ。