「ハングオーバー!」感想(おまけのつづき)
私はマキノノゾミの脚本による「赤シャツ」の芝居を見たとき、名作古典「坊ちゃん」のパロディとして最高の出来で面白かったけど、「新しい女性」マドンナを肉食系女子の俗物として描き、温泉芸者の小雪をそれと対照的な存在として描いていることが、ひどく気になった。これはラッセル・クロウの初期の映画「クイック・アンド・デッド」という西部劇が、原作にあった登場する女性の多くが娼婦という設定を変更して、普通の女性にしていたことと対照的だった(詳しくはリンクしてあるラッセル・クロウのファンサイトに入っている、ながーい論文を読んで下さい。笑)。
新しい時代の台頭による新しい勢力は、時にうざいし、気にさわるものだが、だからと言って古い世界で虐げられつつ生きてきた存在の中に、それと対照的なけなげさや美しさを見いだすという、話の作り方に私はいつも不安を感じる。
この映画、その魅力的なラスベガス女性(ストリッパーだっけ)をシングルマザーにしたりして、新しい時代と折り合いをつけようとしているのも苦心と工夫のあとが見えて泣かせるのだが。そういう気遣いが、全体にあふれている善意と間抜け感ともあいまって、まあいいかと見逃してしまいたくはなるのだが。
ついでにその、この映画唯一の悪役みたいな歯医者さんの相手の女性が、ひどいやつだという理由に、行きずりの男と浮気した、が上がってたのも気にかかった。
あ、別にそれがいけないっていうのじゃない。ただ、これはこの映画だけではなく、それこそ「セックス・アンド・ザ・シティ」のドラマや映画でもそうなのだが、最近は男女問わず相手に、特に結婚相手にものすごく「貞操」を求めるなあ。ほとんどヴィクトリア朝なみの道徳観だ。ミランダは相手の自己申告でわかったのに許さないで別居するし、キャリーは昔の恋人とのキスだけで罪悪感にばたぐるうし。
エイズの流行も影響があったのかしらん。主人公たちのこういう発想や価値観はきっと社会に大きく影響与えるし、それを承知で映画もドラマも製作されてるんだろうけど、一方ではそれがもう社会に定着してきてるんだろうか。
あの歯医者さんも、相手がそういう浮気をして、皆にからかわれるほどそれが公然の事実になってても、自分は浮気はしてなかったみたいだったしなあ。
実は私が、この点で最初に「ええっ」とのけぞったのは、ウィレム・デフォーが主演した、たしか「ホワイト・サンズ」という映画でした。
ウィレム・デフォーってキリストから吸血鬼から平凡な家庭人から、何でもこなしてしまうから、彼の主演と言ったって、どんな映画か何のイメージも伝わらないでしょうが(笑)、この映画で彼はたしか地道な捜査官で、よき家庭人で妻と幼い男の子がいたと思う。
それで、もう記憶がめっちゃいいかげんでウソもあると思うけど、犯罪組織に潜入捜査かなんかしていて、そこできれいな敵の女の人に誘われて、あわやという場面になるんですよね。書いててだんだん、ほんとにそうか不安になった、DVD借りて来っかなあ。
でも大筋の肝心なとこはまちがってないはずで、要するにそこでデフォーは彼女を拒むんですよ。貞操を守るんです。
見てて「えっ」とびっくりしたのは、その当時では多分そこでは絶対に愛する奥さんがいようと何だろうと、男なら相手と寝てました。たとえ007でなくっても、絶対それが普通だった。
私は当時海外ドラマを全然見てなかったんで、そっちの常識は知らないんですが、映画の世界の常識じゃもう絶対にそうでした。
映画の筋なんか皆忘れたけど、そこだけは強烈に覚えている。「こんなことして(しないで?)、相手の女性に正体を疑われるんじゃないか」とか妙な心配したような記憶もある。
デフォーも好きな俳優で、ラッセルと同じ、演技はもちろん、その発言や行動もいつも安心できていたのが好きな理由でもあったのですが、その時もびっくりした後じわじわと、「やっぱりなあ、この人はこんな風に私を驚かせてくれる人だなあ」と感じいったのもよく覚えてます。
つまり、それほど、そのころには(20年ほど前?)そういう時は男は貞操なんか守らなかったんですよ。主役だろうと、よき家庭人だろうと。映画の中じゃ。多分現実でも。
それが今じゃ…この変化は悪くはないと思いますけど、でもほんとに男女の性をめぐる状況は刻々変化して、予断を許さないですねー。
だんだん脱線しまくりなので、一応このへんで感想は終わりにしときます(笑)。