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「ハングオーバー!」感想(おまけ)

暑いよー。
「午前十時の映画祭」で、いまごろ「アラビアのロレンス」見てる地域の人がうらやましい。さぞもうきっと砂漠の暑さが実感できるだろう。

それはとにかく「ハングオーバー!」の感想のおまけですが、また長くなりそうな、やな予感。

この映画って、男たちがはちゃめちゃするってことからして、そもそもどっか古めかしいんだよね。草食系男子も肉食系女子も、だからあんまり感情移入できないかもしれないし、びみょーに異和感あるかもしれない。

前に書いたように私、「結婚で友人を失うほろにがさ、哀しみ」みたいなのが、この映画の底辺にはある、描かれてなくてもそれが前提となった世界だと思うんだけど、でも、そういう感情自体が今じゃもう古いんだよね、現実にはともかく、映画や漫画の世界では。

そういう淋しさや喪失感は、ホモセクシュアル的感情と多分厳密には区別できない。区別できないまんまに昔から存在していて認知されてて、それはそれでいい(ちなみに女性だって同じ感情は当然あるし、それも友情ということで社会に認められてるだろう)。
ただ、昔はそういうひそかな感情だった同性愛が、これはこれでもうしっかり市民権を得て、「セックス・アンド・ザ・シティ2」の冒頭は華やかなゲイの結婚式だったりするわけだ。だから仮に、かなり強く同性愛的に、結婚する友人のことを大好きな男がいても、今なら当然、花嫁から奪って自分が結婚するという選択肢もある。そりゃ今だってそれはなかなかハードルが高いだろうが、思いつきというか可能性というかイメージとしてはそれも存在する。

私はバチェラーパーティーの映画って、そう言やほとんど見たことないから比較はまったくできないのだが、「ハングオーバー!」に関していうと、この映画の世界というか基本というか前提は、そういう男性どうしの結婚とかいう可能性をまったく排除している。そういうことが夢にも考えられなかった時代と世界のお話だ。男も女も(もちろん異性間の、多分夫婦別称ではない)結婚が幸福で人生の行く手にはそれしか待ってなくて、そこにたどりつくこと、それを見送ることは、うれしい中にもちょびっと悲しく、青春の終わりで子ども時代の終わりで、バカやれる時代の終わりで、そういうもろもろのふみはずすかもしれなかった道への道路閉鎖、葬式として、バチェラーパーティーがある、そういう、幸福で健全な世界の話だ。ひきこもりもなきゃオタクもいない腐女子もいなきゃジェンダーもフェミニズムもない時代と世界のお話だ。

そんな時代や世界がいまどきどっかにあるかというと、ないような気もするが、しかし、この映画が全世界でヒットしたとこを見ると、現実にはまだけっこう圧倒的にこういう世界の方がしっかり存在してて、「セックス・アンド・ザ・シティ」風の世界の方が世界の大半じゃ夢物語なのかもしれない。
ただ、夢物語にしたって、そういう世界はもうかなり皆がなじんで知ってるわけで、だから、そういう同性婚やフェミニズムや何やかやが、まるでなかった世の中とはやっぱり今はもうちがう。
そういう意味じゃ「ハングオーバー!」には妙ななつかしさもあるわけで、どうせめちゃくちゃついでに言うと、この映画、世界規模での「三丁目の夕日」なのかもな(笑)。実際、世界の多くの国じゃ、これしか現実がないって場所ももちろんたくさん、あるんだろうし。

この映画に、女性や家庭や結婚に対する敵意がない、愛があるって言ったけど、それはあくまで、そういう古きよき時代の女性や家庭や結婚への愛である。
相手の女性(あれが奥さんか恋人か同棲相手か、私ぼうっと見ていて覚えてないけど)にけっこう虐げられていた、まじめで温厚な歯医者さんが反抗するのは、一見家庭や女性への反抗、破壊のようだけど、そうじゃなくて、むしろあの女性は最近の強くなった女性の一面を悪く強調している。
女性男性どっちでも、その時代の社会の常識のもとに自分を優先させて相手を従わせる人はいつだっているから、ああいうカップルも現実にはたくさんいるだろうが、あの女性はそういう困った肉食系として描かれている。だから歯医者さんの抵抗や反乱も、この映画全体の流れとは矛盾してない。狂気と異常のラスベガスを一夜の夢に終わらせず、現実の生活に結びつけたという点で、彼のしたことはすごく大胆な常識否定に見えるけど、水商売(古いな)のきれいな女性が実は優しく清らかで、そういう人とすばらしい家庭を築ける、なんて、どんだけもう太古からの男性の夢なんだよ(笑)。

えー、やっぱり終わらないので、つづけます。

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カツジ猫