「マリー・アントワネットの日記」いけてます。
◇吉川トリコ「マリー・アントワネットの日記」読了。なかなかでしたよ。最後まで題材に負けずに、パンチがきいてました。ラストなんて、ちょっとカミュの「異邦人」思い出しちゃうすごさがあった。
これ、現在のフェミニズム的視点を、自然にとり入れ、活かしているのね。有能で個性ゆたかな女性が、することなくて、しきたりに縛られるとどうなるかって話でもあって、彼女の贅沢三昧が、抑圧されたパワーの発揮場所として、それしかなかったという構図にしているところが、ものすごく納得できる。
文章はあくまでチャラくぶっとんでるが、これは案外、彼女の分析評価として、まちがってないのかもしれない。ダイアナ妃や雅子妃のありかたともダブってくる、皇室や王室の非人間的残酷さは、女性の上に特に重くのしかかる。何か自分らしいことをしようとすれば、こうなるしかなかった、「置かれた場所で咲く」というのは、彼女の場合はこれしかなくて、その結果がこうだったという説明になっているのが、とてもよくわかる。
マリア・テレサの娘なんだからね、痩せても枯れても腐っても。最後の逆境の中で力を発揮し、裁判で最後まで戦うのも、さもありなん、と思わせるし。多分史実にかなりしっかりもとづいて調査もしてると思うんだけど、脱走の失敗から幽閉、処刑にいたるまでの、じわじわ長い年月が、そうだろうな、事実や現実はこうしていやになるほど、じわりじわりと進むのだよなと、それもあらためて実感した。母との関係、夫婦関係、性生活、きっちり書かれて、ゆらぎがない。
◇フランス革命って、よかれあしかれ、あらゆる近代史の教材見本みたようなもので、民衆の愚かさや恐さ、貴族のアホさ、救いのなさ、ついでにヘイトや格差や依存症など、現代の病理が全部登場してるのも、ねらったのか勝手にこうなったのか、どっちにしてもすごい。
裁判の場面では王妃の問われた罪が「要するに共謀罪ね」とかなっちゃうし。
特に最初のころの、王弟プロヴァンス伯の描写ったらもう(笑)。
「薄ら笑いを顔にはりつけてるけど目だけ笑ってない」とか、「自己プロデュース能力が高いってだけで、実際はろくな人間じゃないんじゃないか」とか、けちょんけちょんにしたあげく、「代議士の家系に生まれ、若くして父親の地盤を継いで出馬、政界のプリンスともてはやされて歴代最年少の総理大臣を狙っているようなタイプ」と言うのに至っては、もう大笑いしてしまった。
それに比べると、と、夫であるルイ十六世を地味でめだたず皆の評判は悪いけど、人間として国王としてとても立派な人物、と高く評価してるのにも、それを読者に納得させるのにも、感心した。
彼をこんなに生き生きと、血の通った魅力的な人物として描いたのは、もしかして、この小説が初めてなんじゃないのかしら。
それでいて、恋人フェルゼンの魅力(と、その限界)も、あますところなく書いてるんだよねえ。彼が座りこんで床にのの字を書きそうにしてるなんて、もう参ったよ、降参ですよ。作者にも、アントワネットにも(笑)。
◇一方で海外ドラマのDVDも、てきとーに見てるのだけど、腰を抜かしたのは「クリミナルマインド・レッドセル」が、シーズン終わりのものすごい盛り上がりで「さあ、次はどうなる!?」という展開で、いきなり終わっちゃったこと。唖然呆然愕然とした。「本国ではこれ以後は制作されてません」て、すごすぎないか? 何があったんだろう。
まあ、死刑執行について、相当めちゃくちゃな展開があってたからなあ。あれが問題になったんだろうか。
◇朝夕は少し涼しい。だが、日中の暑さは、あいかわらずはんぱない。
本当は、今日もうちょっとがんばれば、画期的に片づけの新段階に突入して、九月から勉強に打ちこめるかもしれないのだが、どうしよっかな…私いつも、この、ちょっとがんばってから次の仕事に移るまでの、つなぎめで、クレパスに落ちこんで、しばらく怠けてしまうんだよな。まっしぐらに、何かに没入して行くのを、いつも一回足踏みして、自分で自分をひきとめてしまう。もうそんな時間の余裕がないことは、自分でもよくわかっているのにさ。