「レ・ミゼラブル」映画と小説。
◇キャラママさん。
私の方は年末の仕事もほっぽって、21日公開のミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を見てきました。
私は「クイック&デッド」をビデオで見て以来、ラッセル・クロウのファンなので(DVDでは、大切な場面がぬけてます。くわしいことはリンクしているdaifukuさんのファンサイトの私の「クイック&デッドの魅力」という一文をごらん下さい。ちょー長いけど)、彼の歌は大丈夫か心配で見に行ったのですが、まあまあの出来で、映画もなかなか面白かったです。もともと舞台のミュージカルなんで、なんかもう最初から「映画にしかできんことをしちゃる!」という意気込みが見えてました。
しかし、あれだけ革命や蜂起や反乱を賞賛した映画が大ヒットする一方で自民党が大勝利する国というのも、どうなってるんだろう。何しろ、まあキャラママさんも言うように、世の文学は小説も映画も大半が体制反抗、革命礼讃ではあるけれど、バリケードの学生たちの戦いが民衆の支持を得られないまま孤立してむなしく終わる悲劇を、あれだけ堂々とうたいあげられると、橋下市長でなくっても、若者層のネット右翼と呼ばれる人たちは、いったいこれを楽しめるのかしらんと、ひじょーに余計な心配をしてしまうんですが私としては。
まあしょうがないんだけどね、原作がそうなんだから。しかもあまりにそれがあらすじとからんでいるから、カットも改変もしようがない。そこがユーゴーとデュマのちがいかなあ。私はデュマも大好きだけど、ユーゴーの革命や歴史に対する姿勢というのは、筋金入りだもんなー、いろんな意味で。
◇あらためて原作も新刊を買って読みなおしてるのだけど、あまりの長さにあらためてのけぞり、まだジャン・ヴァルジャンがミリエル神父のとこで食事をすませてない(笑)。
ミリエル神父がどんな人だったかも、それで一冊の本になるぐらい詳しく書かれているんだけど、私が冒頭そうそう、うなったのは、神父が会う、昔革命家だった老人の話です。
この時代は大革命がぐちゃぐちゃになって帝政が復帰してるんで、この老革命家なんかも、言ってみりゃむなしい生涯だし、孤独で幸福でも無いのですが、でも彼は決してかたくなな狂信とかではなく、暴力革命を肯定し、虐げられた民衆の蜂起を支持する姿勢を失っていない。
ユーゴーは、「レ・ミゼラブル」のあとの方でも、暴力革命ではない穏やかな改革を支持しているけど、その前の部分できっぱり、たとえ行きすぎた暴力革命でも、虐げられた人々の戦いは正しい、と明言しています。
なんかね、読んでると、あー、自分の思想の源泉て、ここにあったのかもなーとあらためて思ってしまった。ほんとに私、文学作品に洗脳されて人格作って行ったのかもなー。
◇そして、ちょっと前にキャラママさんとも話した「明治維新の哲学」の最初に著者が書いてたことだけど、大きな改革が立派な意図でなされたあと、反動やゆりもどしが来て、前より悪い状態になったかに見えても、結局はそうやって歴史は進歩して来たという、この事実を、あらためてかみしめます。
正義や善意は負けて負けて負けつづけて、失敗して失敗して失敗しつづけて、それでも戦いつづけるから、それは正義で善意なんだなあと、あらためて思ってしまっちゃったりなんかして(笑)。
芥川龍之介はたしか、ユーゴーのことを「全フランスをおおう一片のパン。しかしバタはどう見てもあまりたっぷりとはついていない」とか書いてたけど、でも、このパンの味は悪くないなー、何度かじっても。