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ここに来て

◎10年以上使っていた、古い家の方の冷蔵庫がこわれたようです。何やら動いてはいるのですが、次第に冷凍庫の氷が溶けて行っている模様。
よく働いてくれて愛着のある冷蔵庫ですが、省エネの点からいうと買い代えた方がいいし、一応注文したのですが、問題は書庫の床をはりかえた後、片づけはぼちぼちと思っていたので、台所にも廊下にも本があふれて冷蔵庫など運びこめそうにない。

29日に配達してもらうことにして、それまでに急遽本を片づけないとならないのですが、もうどうなることやら。庭の草取りも正月飾りもお預けですかね。年賀状を出さないというのも、どうやら現実味を帯びて来ました。(笑)

◎そんな中、昨日は一日、文楽を見て来ました。久しぶりでもあり、楽しみました。しかし、隣りの女性が舞台も見ないでパンフレットを熟読するという、私の一番閉口するタイプだったので、疲れました。
つくづく、他人のことだからどうでもいいとは言うものの、高い料金を払っていい席に座って、舞台を見ないで客席でパンフレットを読んで、にわか勉強している人には、まったくげんなりさせられます。

たとえば嵐やスマップや韓流スターの公演に行って、あこがれのスターが舞台でしゃべったり歌ったりしているとき、客席でその人のCDを聞いたり写真集を見ていたりしたら、正気を疑われると思います。歌舞伎や文楽その他の伝統芸能でも、それはまったく同じこと、舞台の上の人にも失礼きわまるし、何より私はその気持ちがわからない。
私は美術館でも何でもカタログを見ないで、見て回るんですが、解説がないと安心できない人がよっぽど多いんでしょうかね。歌舞伎や文楽のすじなんか、客席で今さら読むくらいなら、わかってもわからなくても舞台をぼうっと見ていた方がよっぽどいいのに。

それにしても、「絵本大功記」とか「艶姿女舞衣」とか「壇浦兜軍記」とか、見ていてつくづくあらためて気づいたのは、浄瑠璃とはまあ本当に、敗者や落伍者に満腔の涙と同情を寄せ、平凡な庶民の哀しみによりそい、戦いのいたましさを嘆くものなんですねえ。
これは大阪の橋下市長は絶対に楽しめないだろうなあと、妙なところで深く納得しました。どんな演目を選んでも、自分へのいやみととるしかないんじゃないだろうか。

思えば文学というものは、大なり小なり皆そうで、権力者や勝者は決してとまでは言わなくても、ほとんど楽しめないようにできているんですねえ。そして、これを楽しみ共感し快感を得ようと思ったら、弱い者に味方した生き方をするしかないんですねえ。ううむ、私など、古典文学の名作を味わって楽しみたいばかりに、「弱い者に味方する」生き方を選んでいるのかもしれません。いいのだろうか、そういうことで。(笑)

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カツジ猫