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「人間襤褸」の朝鮮人

前に書いた、小説「人間襤褸」に登場する、朝鮮人と日本人の交流の場面です。

今の日韓関係を思うと、ここに書かれた一文字一文字を、指も折れるぐらいの強さで書き写したい思いにかられます。でも、時間もないし疲れてるしで、手抜きですが、そのままコピーしてみました。読めるといいのですが。ていねいに作られた全集で、活字もきれいなので、拡大したらわりと読めそうです。(私のパソコンだと、カーソルを画面の上において、マウスを右クリックして、「新しいタブで画像を開く」をクリックすると、大きな画面が出ます。上の方に出るアドレスをクリックしたら表示されます。そうしたら、ばっちり読めます。)

画面三つの、真ん中の部分がメインです。そこの前半は、川辺での日本人と朝鮮人の若者の会話、後半は、避難していた若者が聞いた朝鮮の歌の思い出。
歌っている朝鮮人たちも当然被爆して、同じように筆舌につくしがたい苦しみを味わっているはずです。それでも彼らは戦争の終わりを予感し解放を予感したのでしょうか。それが明るい歌声になったのでしょうか。

今の、韓国への敵意にあふれた日本人たちは、これらの場面を見ても、日本が負けたことを喜んで歌う朝鮮人(韓国人)に怒りを覚えたりするのでしょうか。でも、被爆した極限の苦しみの中でも、なおそのような歌声が起こるほど、日本は彼らを苦しめていたのです。そんな長い歴史を私たちは知らなさ過ぎる。いくら何でも知らなさ過ぎる。

そのことを思い知り、かみしめて、書きとどめた、大田洋子をはじめとした多くの当時の人々の思いもまた、今の私たちは葬りすぎる。無視して、なかったものにしなさ過ぎる。
「人間襤褸」は小説です。しかし、描かれたことのすべては取材と体験に基づいているはずです。この小説に登場する生者と死者のすべてが、私は実際に広島で被爆して死んだ数万の人々の化身に思えます。彼らが大田洋子を通して私たちに聞かせようとしていることばだと思えます。

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カツジ猫