「借りぐらしのアリエッティ」感想。
キャラママさん。
「アリエッティ」見ましたけど、まあまあかな。特に最初の方はとてもいい感じでわくわくしました。
原作はほぼ忘れてるんだけど、しんきくさい、うっとうしい「家族」そのものの両親を、そういうイメージなんだけど、しっかりそれぞれ魅力的に描いてるのはさすがと思った。俳優(声優)もうまいんだろうけど。
原作もそうなんだけど、借りぐらしって早い話がドロボーですよね。だから、お父さんに連れられた娘が、初めての「狩り」(あ、あれ「借り」か)に出かける場面とか、実は盗みに行くようなもんで、そういうヒジョーに反道徳的な場面をしれっと描いてるのは、まあ原作がそうなんですけど、笑えたし、楽しかった。「ドリトル先生」も原作でけっこう法をおかすでしょ。児童文学の名作って、そういうの多いんですよ。だから楽しい。不法侵入だの窃盗だのが目白押し。
たいがいは「子どものことだから」って、あとで親に説教されてなんとか無事に世間と妥協する描写になるんだけど、原作の「床下の小人たち」は、家族でそれやってるんだものなあ。何たる反社会性(笑)。昔は気づかなかったけど、実に痛快な話だったのな、これ。
だから、しれっと、それ、やりつづければいいのに、何かどっか腰が引けてて確信犯じゃないんだよなあ、あの映画。家政婦さんが「泥棒の小人」と言って退治しようとするのも、ある意味当然なわけで、だけどアリエッティ一家に共感してると、それはひどいことに見えて、じゃゴキブリだのネズミだの、人間の犯罪者だのだって、駆除するのはどうなのさ?っていう、すごく大胆な問題提起にもなるわけで。
「滅び行く種族」なんて言ったりしてる場合じゃないよ。そんな方向に話ずらさないでいいから、「借り」て生きてる、それが本質で必然の人たちの暮らしを、別に理屈はいいから、せいぜい観客が共感持てるように、ていねいにリアルにきちんと描いておけば、それでもう、すごく過激な問題提起が出来たのに。どういうもんになるかは私もわからんけど、あの画面で、あの描写で、あの演技で、それやってくれれば、きっとそういう何か大きなすごいもやもやを観客にプレゼントすることができたと思う。それでもう充分すぎる。
少年が、そういう道徳「結局盗みじゃん」に気づかないで、ひたすら小人を守ろうとするのは、まあわかるんだけど。子どもはそんな道徳観念ないから、というか、それ以上に珍しい不思議なものが好きだから、平気で、必死で、法もおかすし犯罪者にもなるんだから。
(以下ネタばれかしらん)だいたい、そこで変なのは、あの少年は難病って設定なんですが、たとえ死にかけてるとしても、もっと重病でも、あんな面白い生き物見たら、病気なんか忘れて一見元気に見えるほど興奮し、自分の死ぬことまであっさり忘れると思うんだよね。子どもどころか、たとえ大人でも老人でも、あんな生き物見たら、寿命も手術も気にならなくなるのとちがう?
ところが、あの少年は、アリエッティみたいな生き物に会いながら、なんかまだ自分の身体の現実を忘れてなくて、うじうじしてて憂鬱になって無気力になってるまんまで、そこがもう、すごくおかしい。だから観客も、アリエッティみたいな小人たちがいる!こんな生活してる!って興奮してたのが、すうっとさめてしまう。あれ?そんなに不思議で珍しいことじゃないのかな?みたいな。
あの少年のアリエッティに会ってる時の反応って、避暑地で普通の人間の美少女に会った程度のもんにしか見えない。比べ物にならないだろ、そんなんとは。ダイヤモンド製のちょうちょが飛んでたとか、空を飛べる猫がいたとか、そういう水準の問題だぞ。ぶっとべよ、もっと普通に。
小人がいるのを信じてた、みたいな感性の持ち主で平然としてるんだったら、逆に自分の病気や境遇に対しても、もっとクールで達観してないとおかしい。
まあしかし、何だかんだ言っても私が「ポニョ」よりこっちの方がずーっと好きなのは、ポニョの時も今度も、まるで力を持たない幼い少年が、異なる種(というと別にいいけど、なぜかそれがどっちも女の子)に対して「ボクが守る」精神を発揮して、事実は自分のいいように相手の環境つくりかえる話で、今回はそれがみごとに大失敗して、アリエッティは少年の助けを拒絶して自分の種族と去る(だから、そこもほんとはキライなんだよなー。同じ種族ならいいんかい!?私は日本民族とも福岡県人とも、いっしょになりたいとは思わん!と思いやすい私としては)ことになる、要するに「バカが、できもせんのに、いらんことすな!」ということが明確に伝わる話だったからかな。そこは、たしかに、救われたし、ほっとしました。
それにしても暑い。皆さん熱波にご用心を。