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「光の子ども」と、その作者。

◇小林エリカ「光の子ども」を読んだ。図表や年表、資料の引用も多いので、読むというより「見た」部分が大きいかもしれない。それに、この年になると、それらの小さい文字は読みにくい。
それでも、断片をつなげた全体像は、しっくりと私に何かを伝えて来た。科学や世界や人間の、華麗で悲惨で壮大な悲劇のようなもの。絶望的に不幸なのに、なぜか明るいのは、それでも作者が持ち続ける人間への希望だろう。それが、怒りというかたちであらわされているにしても、それは限りなく力強い。

新聞の書評で見て、この本を知ったのだが、すぐに買うことにしたのは、作者の名前に覚えがあったからで、それは「空爆の日に会いましょう」という、日記のようなエッセイのような本の記憶だった。
今ならちょっと信じられないかもしれないが、湾岸戦争の始まったとき、テレビも新聞も爆撃されている人々や国のことはまったく報道せず、連日テレビのワイドショーでは、軍事オタクと言われる人たちが、政治でもなく人間でもなく、まるでゲームのように爆撃の効果や手法を解説しているだけだった。シュールな悪夢のような信じられない状況で、あれから15年近くたった今、日本の政治もマスメディアもひどいことになってはいるが、あの時の状況を考えると、爆撃下の人々のことなども、一応ちゃんと報道されるようになった点では、よっぽどましになっているとも思うから、話はややこしい。

私自身がそのころまだ中東については、まったく何の知識もなく、小説や文学を通しても、親しみや近しさを感じることができなくて、ただ、それでも「あの爆撃の下には、確実に人間が、家族が、命があるはず」と思うと、気が気ではなく、狂ったようにあせっていた。せめて何か、この戦争や爆撃に疑問や批判や怒りを抱いた人の文章や本がないか、または中東についての知識を教えてくれる本がないかと、本屋をかけ回った。

これも、今ではウソのようだが、本当にその時期には、そういった本はどこの本屋を探してもなかった。知識人、政治家、評論家、誰もがそういう、爆撃下の人々に思いをはせたり、心をよりそわせたりして書いた文章はなかった。無理もない、私も書けなかった。アメリカやイギリスやヨーロッパやアジアやアフリカなら、架空の物語の中の知り合いでも、たちどころに思い出せる人の顔や町の風景がある。中東はそうではなく、いやよく考えたらアラビアのロレンスだの千夜一夜物語などで知っていた部分もあるかもしれないが、それをはっきり思い出せるほどの地理的な知識さえなかった。「そこにだって、人は生きているはずだ。苦しみがあるはずだ」という、いわば理性的な判断でしか、思いやることができなかった。それは私に無力感を強く与えた。

◇忘れもしない、そんな時、本屋で見つけた、たった一冊の「湾岸戦争もの」が「空爆の日に会いましょう」だった。
それも、空爆が続いている間、ひたすら他人の家に泊まりこんで回るという、奇妙な話。だが、知識もなく、とるべき抗議行動も、それを支える理屈も何一つないままに、ただ、自分にできる、無意味かもしれない、苦行を続けることで、爆撃される人たちとつながろうとする必死さと懸命さと、そのことをうまく説明もできないし、ほとんどというより、まったくしないままで、ある意味わけのわからないものになっている、その本は、私自身のその時の気分とどんなにぴったり重なったことだろう。その本が存在しているというだけで、私はどれだけ救われて、絶望しないですんだだろう。

彼女がその後、芥川賞や三島賞の候補になり、すぐれた作家として評価されつつあることを、「光の子ども」の解説で知った。扱うテーマは、あの時よりもずっと広がり深まり、わかりやすくもなっているが、その根底にあるのは、あの「空爆の日に会いましょう」で見せた、悲しく烈しく切ない狂気だ。力強くて優しくて、沈黙や無関心を自分に許そうとしない、潔さと勇敢さだ。

今なら、もっと私たちはとるべき行動を見つけられる。情報も得ることができる。私自身も小林さんの歩んだ道とは比べ物にならないささやかさだが、自分の住む場所で人とつながり、政治や世界に対して発言や行動をするように、成長し変化した。それでも私は、あの何一つ、武器も仲間もなかった時代に、たった一つ手に入れた、同じ思いを抱く人の本のことを忘れない。

小林さんの小説は他にもあるようなので、また読んでみようかな。

◇昨日買った、クリーム色のバラがさわやかで、今日またつい、少し茎の長いピンクのバラを買いました。ブリキの水差しにいれてパソコンの横のテーブルにおいて、華やかな気分になっています。カツジ猫は、その向こうの椅子で寝ているらしく、くうくうといういびきの音が聞こえています。

お米もなくなったので、以前に友人からもらっていた、玄米を精米しに出かけました。コイン精米所という、小さいボックスに行くのですが、どこも、ものすごくうらぶれている感じで、ゾンビか疫病で荒れ果てた町の中の稼働しているかどうか怪しい施設のようです。現に最初に行ったボックスは故障していて使えず、二軒目で何とか精米できました。ふう。これでしばらくはまた食いつなげそうです。

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カツジ猫