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赤の他人。

◇あくまで私の目で見ての話なのだけど、今、カツジがいる小さい下の家は、それなりに片づいてものすごく居心地がいい。田舎から持ってきた叔母の椅子は、座り心地がいいだけでなく、背もたれが低いので圧迫感もなく、じゃまにならず、こじんまりと品がいい。本当は6脚も置いてるので、少し窮屈なのだが、それを上回って快適である。
それでうっとりして、昨日は一日、我ながらじだらくにでれでれ過ごした。その間に、少しは涼しくもなって、いよいよ月末までは、あちこちに押しこめたものを整理し、上の家も下の家もどうにか片づけてしまいたいという野望を抱いている。

◇私がそうやって、ちょっと吸血鬼か眠り姫かをやってる間に、世の中はいろんなことがあった。
飲酒運転で三人の子どもが亡くなった、福岡の事故からもう10年とかで、被害者の家族の方がインタビューに応じていた。その後三人の子どもに恵まれたということで、少し救いになったが、亡くなった三人の代わりなどにはなるはずもなし、何より世間のバッシングなどで、今はよその県に引っ越しておられるという事態が、腹立たしくて情けなくてしかたがない。

まあ自分が猫のことなどで感じるのといっしょにしては失礼だろうし、唯物論者の無神論者にあるまじき感覚ではあるが、愛していたものを失った場所から去ると、お盆だの命日だのに、「ここに帰ってきて誰もいないのにとまどうんじゃないかなあ」と、つい思ったりもしてしまうのだ。遺族の人たちはどうだったか知らないが、できたら亡くなった子どもたちのいた場所で、思い出にひたったりしたかったかもしれない。そういう選択の余地を亡くした、赤の他人のバッシングなどしたやからが、私は誰より憎い。これまたそんなものがあると思ってるわけじゃないが、本当に、一人残らず地獄に落ちろ。もしも私が地獄に落ちるなら、地獄にも来るな。そのぐらい憎い。いいか。赤の他人だからと気軽に攻撃するバカに言っとくが、そんなことする赤の他人をこれだけちゃんと憎む私のような君らにとっては赤の他人も、世の中にはいるのだからな。

加害者の男性からも何一つお詫びもあいさつもないそうだ。
多分若い人だったと思うが、私はこの人に対しては、まあ運が悪かったなと思う気持ちもどこかにはある。あんな写真で見ても大変かわいい子どもたち、海にもぐって三人を救いあげたけなげな母親、幸せそのものの家族が被害者ではなくて、私みたいな一人暮らしのばあさんとか、しがない中年男とか、逃走中の犯人とかの車だったとしたら、たとえ結果が同じでも、そんなに話題にもならず悪役にもならなかったかもしれない。車の事故は、こういうところが、つくづく恐い。

というわけで、私はそれこそ、赤の他人で加害者被害者双方を無責任に攻撃するような連中に比べれば、加害者には同情する。むしろきっと弁護団に翻弄されたのだろうが、その後の裁判で自分に責任がないようにさまざまな工夫をして、被害者にも責任があったように攻撃したのは、何より今後のその人自身の生き方に大きく影響を与え、誰がどうとかいうことなく、自分自身の心の中で、最良の結果とは程遠いものになるようで、そこが気の毒でならない。

戦争責任の問題にも共通するが、どんな残酷で卑劣な行為にも、それなりの理由や言い分はある。だが、それをどのように扱って整理して、衷心からの謝罪や全身全霊での反省の中で、どう生かしていくのかということはとても困難で難しい問題だ。それこそ普通の人だったら、とても処理できない難題だろう。これは私自身もそうだが、誰もが考えておかねばならない問題で、いっそ道徳の授業などでは、そういうことをとりあげて討論してみてほしいものだ。

◇あと俳優の強姦事件については、Kumikoさんのツイログにあった、

芋ゾン@imozon5a17dmb2d強姦された女性は年齢や容姿を取り沙汰されからかわれるし、強姦加害者の母親は息子が成人してるにも関わらず監督責任を問われ謝罪する羽目になるし、被害女性に似てるという噂が出た女性タレントに「こうなる前に相手してやればよかったんだ、お前が悪い」と言われる国が女性差別じゃないなら何なの
これにもう、つきると思うが、それに加えて腹立つことは、テレビがまた、この報道一色になって、政府がテロ準備罪を国会に提出しようとしているという、恐ろしい話がろくにとりあげられそうにないことだ。私は、どうせ改憲をいきなり言い出す度胸はないだろうから、当面緊急事態条項が必要と言うあたりで、国民をちょろまかすのが一番やりそうなことだと「シン・ゴジラ」の映画など見ながら、つくづく思っていたのだが、その前にその手がありましたかと言いたくなる、このテロ準備法は。
何しろ、何度も類似の法案が提出されかけては、さすがにポシャって来たような悪法だが、このごろの政府はどれだけ反対があっても成立させるという、もはやファシズムの手法を平気で使うし、いったんこれが成立したら、まさに共産党だの九条の会などは、完璧にねらいうちされるに決まってる。そうなったらもうおしまいで、まさにそんなに遠からず、ナチスの世界が実現するだろう。
◇実は参院選で、生まれて初めてかなり積極的に選挙運動をしたのだが、やってみて痛感したのは、ふだんの九条の会の活動や、学生時代に少しだけやった選挙運動と比べて、ものすごくやりにくくなっているという実感だった。候補者の名前、具体的な政党名など、書いてはいけない制限がものすごく多く、ビラの配布も街頭宣伝も、うっかり違反したら罰金も懲役もはんぱない。手も足もしばられ、さるぐつわをされているような気持ちがずっとした。何より「これは違反になりますか」と、選挙管理委員会に質問しても、決して明確な回答がない。「違反ではないかもしれないが、まあしない方が無難」と言った、玉虫色でグレーゾーンの返答ばっかりで、皆、ものすごく苦労した。そうやって、明確な規制もないまま、皆が自己規制するようにしむけて行く。投獄されるか罰金とられるか、やってみて、身体で試せということらしい。まあ力関係ってことでもある。
いつの間にか公職選挙法が変えられ、「宣伝カーの音がうるさい」などと、あえて言う、くだらん文句を言ってる間に、「ああ選挙があってるな」と感じとる権利さえも人々は奪われようとしている。そんな

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カツジ猫