「告白」感想(7、これでおわり…多分)。
女教師は、あの冒頭の場面で、自分を信頼して電話で打ち明け話をしていた女生徒を公然と皆の前で切りすてる。彼女なりの決意表明、正気との訣別の意味もあったかもしれないが、あれは私には、彼女が加害者にした復讐以上にひどい行為と思えたし、衝撃も受けた。これはもうホラー映画だなと早々に覚悟を決めたぐらいだ。
彼女の復讐の過程で、いくつかの家庭、何人かの人間が崩壊し滅亡していくのは、これでもかというほど描かれている。だが、あまりはっきり描かれていないが、確実に壊滅的に病み、崩れ、こわれていったものがもうひとつあって、それはあのクラスそのものだ。
あのクラスの生徒たちは、女教師に愛されず、加害者のようにまともに憎んでさえもらえず、利用され放置され、ずんずん崩壊していく。
もはや誰が何が弱者か強者か、被害者か加害者かさえわからない中、どんどん誰かを攻撃して追いつめる、あのクラスの生徒たちが現代や社会の縮図とか象徴とか思ってしまう人もいるのじゃないかと思うけど、冗談じゃない。笑わせる。ガキの世界なんて、あんなもんだ。単純で幼稚で、臆病で残酷で、だからこそ、教師や大人が知恵と力の限りをつくして、見つめて向かい合い、戦ってやらなきゃいけない。
あのクラスの描写は、それはもう、みごとなまでに、冒頭から最後まで不愉快で何の魅力もなく、無気味で許せなかった。
だからこそ、気にかかってたまらないし、放っておくのがいやである。女教師のしうちにか、映画の中での扱いか、どっちかわからないが、「ひどいよー」と抗議したくなる。
あの映画の中で、あのクラスのことを真剣に心配している大人はいない。新米先生では荷がかちすぎる。女教師は彼をフォローするどころか利用してクラスを更に崩壊させる。
彼女は、直接の加害者だけじゃなく、クラス全体のありようが娘を殺す犯人だったと思っているのかもしれない。そうでもなければ、こんなにまで冷酷な、クラスに対する「育児放棄」は説明がつかない。
私がこの映画の何よりも恐いのは、加害者の生徒に対する女教師の苛烈さではない。一番寒々とするのは、他の生徒たち、クラス全員に対して彼女がつきつける絶縁状だ。それをつきつけるまでに至った、彼女の傷の深さと絶望と、疲れだ。
これは教師に限らず、親でも政治家でも指導者でも、上にたつ人にとって、「その他大勢」に対する愛情は欠かせない。その立場にいる人が、それを失い、持てなくなる以上の悲劇があるだろうか。その人にとっても、相手にとっても。
そのことがいつも気になってしまうのは、自分もまた、常に「その他大勢」でしかないと思うからだろうか。その一方で、時には上に立つ者としての、大衆、民衆、名もない庶民というものに対する愛憎こもった感情をいつも抱いているせいだろうか。
たっ、多分これで終わると思います。今回は「おまけ」はつけないぞー。