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「告白」感想(6)。

私はこの映画を、全体としてひきこまれ緊張しつづけて見終わって満足しているのだが、しかし、結局さまざまな悲惨で救いのない場面がどれだけ重なって最後にいたっても、結局そのどれもかなわない、一番強く印象に残る、この映画の原風景みたいなものは、あの冒頭のクラスの場面だ。気ままに無責任にざわつく生徒たちと、特に聞かせようともせずに、それに対して語りかける女教師。あの図式がすべてで、あそこにあの映画のすべてが、もう表現されているとしか見えない。

自分の体験も反映してしまうのかもしれないが、あの場面の女教師のあの態度、あの語り口、見限りつくした無関心、そこにこめられた憎悪の深さに私は圧倒される。
彼女が娘を殺した加害者たちに行う行為など、実は大して気にならない。それはまあちゃんとしてはいないかもしれないが、一応納得する人も多そうな理由もあることだ。
それより私がめまいがするのは、あのクラスの全員へ彼女が向けている敵意と憎悪と絶望だ。

あの決して建設的でもないしエネルギッシュでもない、不健康で不潔な騒がしさにみちたクラスを見たときに私がとっさに感じたのは、「娘の死んだのをどうこう言ってる場合かい。それより、このクラスを一刻も早く何とかしないと」だった。加害者なんかかまってるヒマはないから、もうそんなバカはほっといて、この連中を何とかしてやらないとと、ひたすらに、あせった。
私もつくづく元教師なのが自分でいやんなるが、だいたい、あれは彼女の担任したクラスだろう?
どんなに短い間でも、子育てが大変で片手間でも、そりゃそれでいいから、やっぱりあのクラスもまた、彼女の生んだ、育てた子なんだよ。あの状態も、それもまた。

やっていかんことかいいことか知らないが、とにかくとんでもないことをやってのける女教師はもちろん、彼女が標的にする加害者たちも、それにまきこまれる犠牲者たちも、少年たちのそれぞれの母親も、冷たいようできっちりと映画は理解し説明して、誰の気持ちもていねいに観客に伝えてくれる。
唯一とまでは行かなくても、一番粗末に、ありていに言うとただのバカとしてしか描かれてないのが、「その他のクラス全員」だ。

いくら中学生でも、いくら今の時代でも、30人か40人か集まっていて、あれほど全員がベタにバカってことはあるまい。社会主義映画もどきの群像劇、集団描写とまでは行かずとも、あれだけの人数がいれば、その中に当然もっと力関係や相互作用が起こるはずだ。なのに彼らは、ただもう、バカ一色である。
まあ、そんなのを描く時間がないのはわかるし、そういう「その他のクラス全員」の代表は美月で描かれてるんだろうが、あの顔無しクローン集団の愚民っぷりは、まるでアシスタントが手抜きで描いたアニメの背景か群衆のように、この映画では逆に目立つ。

こんなこと考えるのも実は理屈ではなく、あの映画の冒頭を見たとき、女教師に向かって「だって、これ、あんたのクラスだろー?」と弱々しく抗議したくなる声を私はずっとおさえつづけた。「そりゃ、どう見ても救いようのない連中なのは認めるけど、でも、これ、あんたのクラスだよ。その内の何人かが、娘一人殺したぐらいで、たばにして見捨てるなよー」と、ほとほと哀願したくなってた。

キリスト教で「九十九ひきの羊を見捨てても、一ぴきの羊を救う」という聖書の名言がある。言ったのは多分イエスだったろう。まあ、こういうところが、私のイエスを好きなところだ。
で、まあ、その理屈には賛否もあろうが、この場合はそうでさえなくて、「ちょっと、あんたもう、たかが一ぴきか二ひきの羊をしめ殺すために、九十九ひき見捨ててどうすんだよー」という世界じゃないだろうか、ねえ?

うー、つくづくもう、野暮なことばっかり言ってるなあ。でもあともうちょっと。

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カツジ猫