「大学入試物語」より(10)
3 毒を食らわば皿までで
そこで、読者の神経をさらに逆なでするのを承知で、試験場での大学教員がどんなことをしていたかということを、少し話しておきたい。これから私が話すことは、その時代時代の受験生なら皆見て知っていることだから、機密事項というほどのことではあるまい。
共通一次にせよセンター入試にせよ、最初の十年近くはまだ、今では考えられないほど、すべてがのんびりしていた。今のように開始以前に監督官全員が集まって、爆撃に行く空軍部隊のように電波時計で各自の時計の時刻を合わせることもしていなかったし、私も秒針のない腕時計(今ではこれは認められない)を使っていた。一分程度の時間のずれは誰も気にしていなかった。
今では受験生に聞こえる声の大きさでの会話は、たとえ事務的な打ち合わせでも禁じられているが、以前は世間話や試験制度への批評なども平気で受験生に聞こえるような声で話していた。本や雑誌を読むのもまったくとがめられなかった。実は私は今でもこれが何の害になるのかわからない。きちんと教室を見渡して監督をしろということなのだろうが、その一方で歩き回って受験生の邪魔をするなとも言われているから、ややこしい。
こんな昔の話を書くのは、それがよかったというのではなく、昔に戻せというのでもない。この制度が始まってから数十年の間に、いかに現場での管理や規則が厳しくなり、特に報道がこの季節になると風物詩のように受験会場でのミスを取り上げるようになってから、ここ数年その傾向が加速化しているのを実感してほしいからだ。そして、前章で述べたような、受験会場以外での不公平については、まったく考慮も注目もされないままになっていて、最近では存在しないことになってさえいるかのようなのにひきかえて、この病的なまでの受験会場に対する細かい指摘を、あらためて意識してほしいからだ。
細かい指摘と言いつつも、それはあくまでうわべだけで、事情や実態には完全に目をつぶっている。次にあげる例なども、もし事実だけが明らかになれば猛烈な非難の対象となるのだろう。