「大学入試物語」より(23)
つまりまあ、その先生に限らず、一昔前の大学の教員や職員なら平気で無視していたことが、今では絶対できなくて、たしかにそれは若い世代が次第にまじめに小粒になって行ったということもあるかもしれない。その分、学生が理不尽に扱われることがなくなったということも、いくらかはあるのかもしれない。しかしその分、昔のような指導はしなくなったということも一方ではあるかもしれない。そのへんのことは私にはまだよくわからない。
またちょっと脱線すると、私の周囲の先生たちはいろいろ個性はちがっても、人間としての品位や風格を持っている人たちで、私はきちんと扱ってもらえた。だが大学も広いから、いろんな先生もいたろうし、中には学生とひどい関係になる人もいただろう。私自身も何度か今なら絶対アカデミックハラスメントになるだろうという指導や指導放棄をしたし、あえて言うならそのことを今でもまったく後悔しておらず、当時もたとえクビになっても、この点は譲れないと考えていた。
どうしてか私の研究室の卒論発表会では、発表者が変に悪ふざけして冗談めいたやりとりを質問者とすることがある。そこそこいい卒論を書いたというバカな思い上がりと、充分にいいものが書けなかったというバカな恥じらいとが、そういう妙な照れ隠しに走らせるのだろう。ある時期からは私は前もってそういう態度をとらないように注意するようになったが、最初の数回は腹にすえかねて怒った。一番不愉快だったときは、その発表会のあとの飲み会の席上で「では先生のお言葉を」と言われたとたんに、「実に不愉快な発表会だった」とののしって、そのまま席を立って帰ってしまった。そうしたら駐車場で女子学生が一人追っかけてきて呼びとめるから、「何なの?」と振り返ると「先生、バッグをお忘れです」と、さすがに笑いのかけらもない真剣な顔で私のバッグを差し出した。私も照れ笑いなどちらともせずに、実際そのときはまだ活火山のように怒りまくっていたので、「ああそう」とバッグを受け取ってそのまま車に乗って帰った。
何かもう、いつもあの頃、私は学生とさしちがえるような気分で毎日授業やおしゃべりや飲み会をやっていた。何時間でも徹夜してでも議論をしたし、相手の学問も人格も人生もこきおろした。いつからそれをやめたかは覚えていない。私は学生の人権は充分に守られるべきものと思っているし、彼らとの狂瀾怒濤のつきあいの中でもそれは守ってきたつもりだ。しかし、最大の原因はともかく忙しくて学生とつきあう時間がなくなったからだが、それ以外にも何となく、学生たちのガードが固くなったというか、どんなにつきあいが深くていろいろしゃべっていても、決して自分をあらわにせず、それでいて、そうっと手袋でマッサージするような快い指導や会話やつきあいだと、いつまでも、どこまでも、あきずにこっちによりかかってくるというのが、年のせいかもしれないが、どどっと疲れるようになった。
たがいにふみこまず干渉しない、最低限のつきあいというのは、私は基本的には大好きなのだが、そういう生ぬるい絶対相手を傷つけないルールのもとでの関係を、だらだら続けるのはすごく時間の無駄と思えるようになった。思えば私も自分の先生方と、たいがい無作法で失礼なつきあいをしてきたと自覚しているが、最低でも少なくとも、相手はどんなに優しくてもアホに見えても、実は凶暴なトラで冷酷なサメで、私をかぎりなく大切にしてくれる一方で私などどうでもいいぐらい烈しく深い世界に没頭している、異星人に近いぐらい巨大な人だという警戒や緊張を一瞬も忘れたことはない。多分、いや、絶対に。
学生とも同様に先生方とも、どこかさしちがえる覚悟でつきあっていた。それだから楽しくて信頼もできた。