「大学入試物語」より(32)
ことここに及んで私も、「何で文科省の言ってくることなんか相手にするんだい」と不思議がる大先生と同様、「じゃあ、もう相手にしないで放っておけば」と言った。放っておいたら何か処分か罰則があるのかというと、それは別にないと言う。あればまだしも、その時に事情を説明する余地があるだろうと私はふんだのだが、そういうものもなくて、「ただ毎年同じ指導が来るだけです」と言う。「ここ何年かずっとそうです」とのことだった。
何十年もたった今、こうして書いていてもあらためて思うが、よくもまあそういうことに耐えられるものだ。指導をして理由も言わず、従わなければ処罰もせず、なぜ従わないのか聞きもせず、翌年同じ指導をまたよこし、それを延々続けるという神経は私には死んでも理解できない。
とにかくそんな、夏になったらガラス窓にはりつくヤモリのような毎年の風物詩にひとしい指導なんか相手にする価値なんかないから、「何か向こうから言うか聞くかして来るまで放っておくしかないでしょう」と私は言った。事務担当者は何も言わなかったが困った顔をしていたのではないかと思う。これまた優秀な事務員なら、きっと毎年そうして同じ指導が来ることは落ちつかなくて気分が悪いのだろう。「毎年そういうことに耐えられない」というのは、私は指導する方のことで考えるが、逆に受けとめる方がそうなるわけで、それを期待して「指導」が行なわれるのだろう。もう、不毛としか言いようがない。
ささいなことなら、さっさと処理して気分よくなってもいいが、この場合そこまで危険をおかし犠牲をはらって、気分よくなるほどの必要性が私には見出せなかった。
それでも、その問題がいつまでもむしかえされるので、私はうんざりして、こんな意味のないことで時間を費やするのはもうやめましょうと言った。そうしたら何が起こったかというと、委員長をしていた、まじめでおとなしいご年輩の先生(国語国文学関係の方ではない・・・筆がすべって書いてしまうと、国語国文学関係で、よかれあしかれ、そんな風におとなしい先生を私はこれまで見たことがない)が私の研究室にわざわざ来られて、「自分の能力がないために会議の円滑な運営ができなくて時間をとらせてしまって本当に申し訳ない」と平謝りに謝られた。画策でも懐柔でもなく本当に本心からそう思って恐縮しておられるのがよくわかる分、私は弱いものいじめをした気分になり、がっくり疲れて脱力し、結局死ぬほどしょうもない作業をして、何のためにもならない改編作業を完成させた。
私もしつこい人間だから、そのときの恨みを忘れずここにこうして書いているわけだが、多分この状況は今も大して変ってはいない。東北の大震災のあとしばらくして、新聞の小さなコラムで被災地の首長か誰かが、「下ろされて来た方針に対して、こちらから事情を説明し、修正を求める機会や方法がまったくない」と慨嘆しているのを読んで、またかよまだかよやっぱりかよと目の前が暗くなった。現場の状況を知らないで方針は出せないし、出した方針について反応を確かめたいというのは、人間にとって普通の感覚ではないのだろうか。いつからそれは欠落しつづけているのだろう。