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「大学入試物語」より(31)

そこは私の二度目の職場で、もっとも最初に就職した私立大学には二年しかいなかったから、まだまだ私は三十代はじめの新任教員だった。そこである委員会の一員として、学生の履修基準の改定のようなことに携わったのだが、これがなかなか難しく、規則をひとつ改定するのに、結局は関連するさまざまな組織やシステムをいくつも見直して変えていかねばならなかった。そうすることで学生や教員の指導体制その他にどう影響が出るのか、見当もつかないほど広範囲に複雑な作業で、危険でやっていられないと私は思い始めた。
何より、そんな改定をする必要性や利点が、どこをどうさがしても見つからなかった。何でそんなことを誰が思いついたのか、さっぱりわからず、まあ、だからこそ、改編の仕事がややこしくて難しいのだった。どこも悪くないし、誰も不都合を感じていないシステムや体制や規則を、何の理由もなくわざわざ変えようというのだから、目的もわからず何を加えて何を省くかの基準も見つかるわけがない。まったく問題のない健康体の人間の臓器を摘出しようとしているようなもので、どの血管を結んで、どの神経を切断するか、病巣も症状もないのだから、わかるわけがないのである。

もうだいたい話の行きつく先は見えてきたかもしれないが、業を煮やした私が若い身空で「何でまた、こういうことをやらなきゃいけなくなったんですか」と委員長の先生や事務の担当者に訪ねて、やっと理解したのは、「文部省から毎年、その部分の規則を変えろと指導が来るから」ということだった。
もう何十年も前のことだから、詳しいことは私も忘れてしまったが、以下の話の大まかなことは多分まちがってないと思う。私のいた、その県立大学は、四年制大学と夜間の女子短期大学が併設で一体運営がなされていた。そして、もともとの母体は夜間の短期大学の方で、そこは実に古い伝統を持つ短大で、国文学の第一人者と言われる誰もが知っているような大先生がそれまで何人も在職されていたし、その時もそういう立派な先生たちがおられた。だから授業の内容も四年制大学とまったく変りがなく、国立大や旧帝大なみの教育内容で運営されていた。
それがいけない、そういう夜間の女子短大があってはならない、ということを文部省が考えたわけでは多分ない。おそらく、そういう短大だから、カリキュラムや履修基準やその他の規則のいろいろが、全国の他の短大とすこしちがっていたのだろう。で、それを他の短大と同じようにそろえて「整備」しろということだったのではないかと思う。

そのころは、まだまだ大学も今ほどに忙しくはなかったし、人も金も逼迫してはいなかった。しかし、四年生大学と夜間の女子短期大学を一体化して運営し、教員の人材をフル活用し、事務的な手間も省くという点で、それは長年培われた合理的で無駄のない体制で、まったく矛盾も不満も不都合もなかった。短大の規則のいくつかを必要もないのに変えて、全国の他の多くの短大と一律にすれば、現状に合わないという大問題を仮にのぞいて、単純に考えても、当然その分仕事は複雑になり二重手間になり、だいたいどういう不便や矛盾がどれだけ起こるかさえも予測できない。普通こういう改編は、何か不便や不満が生じて、その解決のためになされるわけで、それだと何をしたらいいかはおのずとわかって来るものだが、当事者は何の不都合もないものを変更するのだから、実行したときの被害の程度さえも予測ができないのだ。
文部省の方ではひょっとしたら何か便利なことがあったのかもしれないし、もっと腹が立つのは別に便利なことはなくても、全国すべての短大の規則が、見た目きれいにそろった方が文部省の担当職員としては何だか気持ちがよかったのかもしれない。「多分」とか「思う」とか「しれない」とか私が推測ばかり書くのは、推測しかしようがないからだ。つまり、文部省のそういう現実離れした現場無視の「指導」が、いったい何の理由があってどういう意図でなされているのか、聞いてみてはどうかと言ったら、「そんなルートや手続きは存在しない」ということだった。「うちの大学は、現状で何の不便もなくて、こういう改編をしたら、こういう不便があります。うちの大学は四年制大学との関係やこれまでの伝統で、他の短大と比べて少し特殊な事情があり、それがうまく機能しているのです」という事情を説明してはどうかと言ったら、「そんなルートや手続きもない」ということだった。

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カツジ猫