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「大学入試物語」より(33)

6 さかさまのふるい

たしかに、特にセンター入試関係などで、実施方法や試験科目についてのアンケートというものはときどき中央の機関から来る。かなり来る。いやになるほど来ると紙一重ぐらいの頻度で来る。だが、これはただでさえ忙しい各学科の講座会議や主任にとってはけっこう負担だ。私個人の感覚から言うと、山ほど言いたいことや感じていることはあるのに、それをあくまで向こうが聞きたい、一定の枠にはめて解答しなければならない、その感覚に、そもそも非常にイライラする。

誰でも知っていることだが、アンケートというのは質問項目の立て方によって、かなり恣意的に望んだような傾向を引き出せる。そんな明確なあるいは漠然とした意図がなかったとしても、そもそも状況や解答に関して、ある程度の予想や実態把握がなければ、項目は作れない。アンケートを出すということそのものが、その件やその対象について一定の把握はしているということになるとしか私には解釈できないのだが、その一方で、そのアンケートを見ただけで、出したやつらは絶対にこの現状を把握などしているわけはないという確信がむくむくとわきおこるから、ものすごく解答していて腹が立つ。
オフィスアワーと似た精神を感じる。様式化し無駄を省き、相手を自分の枠にはめて理解しようと制限し、聞きたくないことは初めから聞こうとしない。そして意見は聞いたと言いわけし、聞いたのに言わなかったとさかねじを食わせる材料に使う。そういう意識がすけすけにすけて見える。

学生との会話もそうだが、物事の現実は混乱し複雑で、すべての事象はすっきりとはしていない。だから、とにかく見るしかないし、耳をかたむけて聞くしかない。そうやってながめ、聞きいっている内に何かが見えて来るし問題点が浮かび上がる。それは手間も時間もかかるし、大変無駄な作業のようだが、実は一番無駄がない。すべてをすくいあげて、ふるいにかけて行くことで、大切なものがおのずと見えてくる。大学に限らず、あらゆる現場で仕事をする人はそうだし、上に立ち全体を見る人は、まずは最大限の機会をとらえて、その声を聞かなくてはならない。

ところが、アンケートやオフィスアワーに典型的だが、最初から予測したことしか聞こうとせず、自分のしたいことをするための口実となるものしかすくい上げようとしない。せっかく豊かな現実があるのに、それをまず全部救いあげようとせず、なまはんかなさかしらで、自分の乏しい知識やセンスだけを頼りにでっちあげた、出来の悪いふるいを、いわば上からかぶせて押さえつけ、それで網の目から浮かび上がって来ないものは、なかったことにして無視するという、一番あり得ない、あってはならない、ふるいの使い方をしている。当然何もひっかかって来ないわけだが、「ふるいはちゃんと使った」と自己満足して安心し、そう報告して責任をまっとうしたつもりになっている。
研究者ならきっと連想するだろうが、これって、論文の書き方として一番さけるべきことですよね? そういう点でも私はイライラするのかもしれない。

(ちなみに内田樹「下流志向」の文庫本の中で、最近の講演会の聴衆は、質問がないか聞くと、講師がまるで言ってもいなかったことを自分勝手に聞きとって質問してくるという嘆きが書いてあった。学生に授業をしていても、そういうことは時々あるから、講演会でもきっとあるだろう。しかし、それ以上に私はこのような「すべてを自分にとって、都合のいい枠組みでしか聞き取らず、初めから自分が聞こうと思うこと以外は聞かない」という頭脳構造は、むしろ上にたつ人、支配者、指導者の方に最近ものすごく増えていると思えてしかたがない。)

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カツジ猫