「大学入試物語」より(8)
そもそも私はリスニングをとりいれた試験を現行のようなかたちで実施しはじめた時点で、もうセンター試験は試験ではなくばくちとしか言いようのないものに正式になったと結論づけている。自分自身がブログで書き散らす以外、ほとんど何の抵抗もできなかったのだから他人に望む資格はないが、受験生はよくこれで何の反抗も抗議もしないものだと思うし、このような試験を許してしまっている自分も含めて、大人や社会は受験生をどこまで苦しめる、とかいう以前にどこまでバカにすれば気がすむのだろうと思う。
知っている人もいるだろうが、リスニングは教室で各受験生に小さな機器が渡されて、それを耳につけて操作して問題を聞き解答する。こういう方法のすべてについて、いろいろ言いたいことは山ほどあるが、基本的なことをひとつだけ言う。
新聞その他で報道しているように、毎年絶対、その機器のいくつかには不具合が生じてその機器にあたった受験生は再試験を余儀なくされる。しかも翌日の試験がある第一日めのすべての試験が終了した遅い時刻にである。
私はもうこの事実のみで、それは試験とは認められない。機器の操作が誤っていなくても、受験生や監督官やその他の誰にも落ち度がなくても、はじめから、いくつかの機器は不良品であり、それにあたった受験生は再試験を受けるということが前提で行われる試験など、どう考えても試験という名に値しない。
不具合を生じる機器の数が毎年はんぱじゃないことも、それでずうずうしくこの形式を続ける、私を含めた主催者側の面の皮の厚さも相当なものだが、仮に機器の不良品が全国でたった一個であったとしても、その可能性が皆無と言い切れない限り、私はそういう危険性のある試験は実施してはならないと思う。手術の麻酔ミスによる死亡だって、患者に一応「文句は言いません」の念書をとらせる良心はあるのに、と言ったら、これからそういう誓約書を受験生に書かせようという話が出そうなのがブラックユーモアでなく実現しそうで恐いけど。
リスニング能力の試験が必要かどうかということとは、これはまったく別の問題だ。そういう能力のチェックが必要なら、もっと別の方法を選択すべきだろう。