「女帝」を読んで
朝から雨で、家の前の坂道が浅い川のようになっていた。そのどしゃ降りの中、燃えるごみを出しに行って、雨の日は水まきをしなくていいし、涼しいから最高だなどとのんきなことを考えていたら、テレビではどこもかしこも洪水や土砂崩れの様子を報道していて、日本全国深刻な状況とわかった。
ノラ猫たちの姿も見えない。どこかでぎゃあっとケンカしている声がして、わが家の猫のカツジが庭に飛び出して見に行ったりしていたが、もちろん金網の中の庭なので、しばらくしたらぬれて帰って来た。
子猫のじゅんぺいが殺したクモさんの死骸は、敷居の間にあるのがわかった。雨がひどいし、庭に捨てるのも気の毒で、ティッシュに包んで、きれいな紙しか捨てないゴミ箱に入れた。多分その方がクモも満足だろう。
そうしたら、同じようなクモがまた壁を走っていた。じゅんぺいは気づいているのかな。
元みなきちの黒猫が、もらわれた先でお姉さん猫とからまっていっしょに寝ている映像とかを見ていると、じゅんぺいが一人なのがかわいそうで、せいぜいかまってやるのだが、彼は案外クールで、私を見ても、元気に遊ぶし楽しそうだが、あまり待ちくたびれたり恋い焦がれたりしている様子でもない。そうそう切なくなつかれても負担になるからかえっていいけど、情の薄い猫なのかしらね。
どうも彼が一番私に「萌える」のは、トイレ掃除をしているときらしいのだ。スコップで砂をかき回しだすと、どこにいてもすっ飛んで来て、いっしょに砂を掘り返し、私が掃除しているすぐ横で、いっしょうけんめいトイレをする。
つくづくえらいなあと思うのは、どんなに熱中して私の手と取っ組んでいても、抱かれるのをいやがって逃げる時でも、かんだりひっかいたりしても、決してこちらを傷つけない。みなきちと兄弟喧嘩をして訓練したたまもので、力のセーブのしかたを完全にマスターしている。
それに比べて、もふもふカツジは、私がベッドに寝ていると、つうっと寄って来てくっついたりして、もう私を好きでしょうがないのはよくわかるのだが、ブラシをかけていて興奮すると、猛獣のようにひっかいてかみついて来て、まともに受けると大怪我をしそうなレベルの凶暴さだ。あーもうこいつは死ぬまで私が飼うしかないな、絶対人にはあげられないなと痛感する。じゅんぺいなんか、誰にでもリボンをつけて進呈できるんだけど。
小池百合子の「女帝」を途中まで読んだ。しっかり調べて良心的によく書かれていて、安心して読めるせいもあるんだけど、何だかもう、あほらしすぎて笑ってしまうぐらい、いっそサワヤカな感じがする。
いや、この本に描かれた小池百合子のような人と、お近づきになりたいとは思わないし、東京都の人が怒ったり心配するのも当然とは思う。でも、この人の経歴やキャラって、私にとっては吐き気がするとか虫酸が走るというタイプとはちがうなと思う。
有吉佐和子さんの小説「悪女について」を思い出す人はきっと多いだろう。ものすごい経歴詐称と嘘八百の連続の人生。これも小説だが「レベッカのお買いもの日記」のヒロインの行きあたりばったりの行動も連想した。その二つを知ってたからか、彼女のすることなすことが、それほどに意外ではなかった。
かつて「私のために戦うな」の103ページで、私はトロイのヘレンが周囲をめちゃくちゃ不幸にしながら自分はしれっと生き残って幸福に暮らしたという展開に、さほどムカつかず、むしろ「それ見たことか」と言いたくなる、と書いた。状況は同じではないのだが、気分としてはそれに近い。
小池百合子のむちゃくちゃでたらめ人生を成功させたのは、そういう社会、そういうマスメディア、そういう国、そういう世界のせいだと思うと、まあそれを構成する一員としての責任も感じるが、要するにそんだけ脇が甘くてチャラい世界を彼女が暴いてくれたようなもんだって思いが強い。
だって何しろ私が一番ぶっとんで腰抜かして驚いたのは、彼女がカイロ大学を首席で卒業したという多分大嘘が堂々とまかり通ってるってことだけど、そんなんアラビア語がしゃべれんかったら一発でわかろうもん、と思っていたのに、何とまあ、日本のマスメディア、ジャーナリズム、いろんな関係者は、中東の人と話したり取材したりする時に、アラビア語なんか使わないんだそうだ。全部英語で、だから彼女がしゃべれないかどうかもわからなかったんだとさ。
あかん知らんもうだめだと私はそれ読んだとき思ったね。アメリカがベトナム戦争してるとき、現地のことばをわかる人がほとんどいなかったとか聞いて、そりゃ負けるわというか、それで戦争するのがまちがいやとか思ったけど、アメリカだけをバカにしていて悪かった、日本の中東専門家とやらもその程度のものなのかい。
何ていいかげんな情報、適当な取材で私たちは世界に触れているんだろう。小池百合子が詐欺師であったとしたって、それ以前にジャーナリズムや知識人や国際人が皆詐欺師じゃねえか。そっちが恐いよもうまったく。
そう言えば、小池百合子が中東の生活実態をいろいろ教えたという相手の一人が、板坂元と出て来たのにも脱力した。私の叔父だよ。彼もめちゃくちゃ本書いて今も売れてるようだけど、情報源はそんなとこだったのかい。いやだから私はいやなのよ。自分の専門じゃない方面のことを、聞きかじって書いてしまわなくてはならない状況に自分がなってしまうのが。もうなってるかも知らんけど。
小池百合子がのしあがってトップになって通用するほど、世界も日本も薄っぺらくて適当だったってことよ。そうじゃないかと思ってはいたけどさ。
もうこうなったら、学歴詐称もけっこうじゃないかって気さえするのよね私は。カイロ大学でも東大でも、そんなもんに目をくらまされて、ひっかかって学歴だの職歴だの収入だのにへいこらしてる連中にはいい薬だったんじゃないのって気しかしない。どこの大学も出てなくてもそれで都知事も総理もつとまるんだったら、いいんじゃないの、もうそれで。
あと、それと重なるんだけど、彼女は女性を売りにして、男たちをだまくらかしてのし上がって来てるんだよね。それも私は腹が立つより、「そら見たことか」って気分が先に立つのよな。こういう女性が女の敵か男の敵か、難しいとこだけど、男社会がバカにされてだまされたのなら、ざまみろとまでは言いませんが、何で私が怒らなくちゃならないとは思うのよね、心のどっかで。
最後まで読んだらまた変わるかもしれないけど、今のところはそんな感じです。
庭にカンナの花が咲きました。でも、この雨でもう終わっちゃうかもしれないな。