「戦争は女の顔をしていない」と「若き親衛隊」
人間ドックに行って来た。毎年のことだが、どんどんあっちこっちガタが来ていて、今回は肥満と糖尿病が危険水域になってた。他にもあちこち何かありそう。最終結果はまだわからないけど。これはもう、コロナにでもかかったら、ひとたまりもあるまい。ということは肥満防止にジムに行くこともできないではないか。
何しろやりかけの仕事をしあげるのと、家を片づけるのと、猫二匹が死ぬまで世話をするのとが、終わらないうちは死ねない。かと言って、それだけをして死ぬのはつまらないから、いろいろ、しょうもないことも楽しみたい。ここが落とし穴だな、私の場合はいつも。
正月ごろから、上の家のチャイムが鳴らなくなってた。宅急便のお兄さんに迷惑をかけてしまったので、早く何とかしなくてはとあせっていた。幸いただ電池が切れてるだけのようだったが、天井ぎりぎりの高いところだし、荷物があって、踏み台もうまく置けないで、かなりボルダリングか軽業的な姿勢で電池交換をしなければならない。これで、転がり落ちて頭を打つか足を折るかして動けなくなって飢え死にしたら、あまりにもしまらない死に方だと思いつつ、このために電器屋さんを呼ぶのもなあと、結局やっと床の荷物を片づけて、踏み台をしっかと固定して、無事に電池を入れ替えた。玄関でチャイムを押したらぽろろんと頼もしい音が奥で響いて、ちょっと幸せになった。
人間ドックの待ち時間に読もうと思って、友人に教えてもらって買ったばかりのホロヴィッツのミステリと、「食堂のおばちゃん」シリーズと、二冊の文庫本を持って行ったのだが、控室でテレビを見ながら居眠りしてたら快適で、結局全然読めなかった。いっしょに買って来た、コミック「戦争は女の顔をしていない」の第二巻は、あっという間に、ほとんど食事のしたくをする合間に立ったまま読んじゃったのに。
これね、私は原作の文庫本を読んでるんだけど、コミックはとてもよくまとめてあって、いい意味で別の作品のような趣きさえある。それでいて、本質はきちんと昇華して表現してあるのよ。
ソ連の女性兵士たちの聞き書きなんだけど、二巻は、作者のスヴェトラーナさんがその聞き取りをした体験を中心に書いていて、これがまた、とても切ない。面白い。
第一巻でも、単に女性兵士の話だからってだけじゃなく、これまでの戦争文学とは、どこかとてもちがう気がしたのだ。二巻を読んでそれがわかった。作者はもちろん戦後生まれで、戦争の話も本も嫌いだったという。どのように戦争を考えるか、どのように書くか、さまざまに悩んだという。
体験談を聞いた女性たち自身も、出版社なども、結局、勇敢な女性戦士の物語の枠にはめてしまいたくて、それからはずれるような話はいやがるということも、強くあったそうだ。それも、すごくよくわかるし、今も未来も通じる大きな問題なんだと感じる。「共産党の指導が描かれていない」という指摘もされた。それを読んで、昔、母といっしょに読んだファジャーエフの「若き親衛隊」の話を思い出した。
あれは文庫本五冊ぐらいの長編だった。ドイツ軍が占領したロシアの村で、十代の少年少女が抵抗運動をして、最後は皆とらえられて残酷な拷問の後に殺されたという、すごく心を打つしわくわくするし、感動もする話なんだけど、作者はいろんな人に指導とか受けて、何度も書き直したのらしい。それは、党組織の大人たちの指導があったこと、そういう役割を書き込むことも含まれたらしい。
私はこの小説でいろんなことを学んだし、愛読もしたが、ものすごく熱中するほどはまらなかったのは、多分そういう修正をくり返した結果、どこか生気が失われている部分があったからだと思う。
当時はそれに自分では気づかなかった。でも今思えば母は、「いろいろ言われて書き直したからか、ちょっとごちゃごちゃしている」と不満そうだった。
現在はそのころと比較して、ずっとそういう縛りも弱くなっているだろうが、やっぱり根強くあるのだろう。それをはねのけて、自分の書き方を貫いた作者の心に、私は深く感謝する。
これ、朗読もあるのだね。ある意味、ちょっと型にはまっているので、コミックを見たときのような衝撃はないんだけど、でも、それだけに多分誰にでも入りやすくもある。参考までに、リンクしておく。こちらも。
ちなみに「戦争は女の顔をしていない」第一巻の私の感想は、もうすぐ電子書籍で出す予定の「お買い物と文学」の中に書いている。これ、ブログで発表したものに、いくつか新しい作品を加えて、全体に修正や加筆をして仕上げたものです。今年の私の初仕事でした。その内に、もっと詳しく紹介します。