「日本辺境論」によせて(1)
1 とりあえず、項目だけ
今日も今日とて時間がないので(一生私これ言うんやろか)、まずは項目だけ、要点だけ。あとは、各項目ごとにじっくり書きます。
○もともとこの本を手にしたきっかけが、専門の江戸紀行研究で当時の人の「辺境」意識がどうだったかと考える機会が多かったこと。たとえば橘南谿なんかは明らかに「辺境」を古代文化の残る所と美化して、その枠組で紀行を書いてます。
○辺境の人は、新しい独自の未来像や理想像が作れないという指摘。それを作ることの苦しみと恐ろしさ、それに要するパワーとエネルギー。これは私が女性について考えるとき、ずっと七転八倒した点。詳しくは「私のために戦うな」の第三章、「夢の子供」に書きました。
○私の辺境と中央意識は、都会に住む叔母と田舎に住む自分の体験から生み出されたものも多い。これは小説「吉野の雪」のテーマの一つにもなっている。
○そして私は、中央にあこがれ、辺境に住む自分の位置づけを、「海の彼方から自分の同志が来たときに、この場所との仲介や通訳ができる人」になろうとすることで解決し、いつもそのあり方をめざして来た。
○だからこそ私は、いつも、自分のいる場所や共同体と、遠くの人との両方を見ようとして来た。似た人や同じ人といるのは不安で、味方や同志は常に集結よりは拡散してほしいと願って来た。
○日本語という言語の特質として内田氏があげる「一人称代名詞」の多さだけれど、これは男性だけの問題で、女性はほとんど外国語なみに「私」しかないのじゃないかな。
○師弟関係、指導と教育について、教えられる側が教える側を「評価」したら、それはもう成り立たないということは、私も「大学入試物語」第四章の(3)の中でふれたこと。多分、教師なら誰もがこのことは体験的にわかっている。
○そうか、憲法が押し付けというなら、国歌も押し付けだったのか(笑)。
○そうか、武道などでは、相手の動きを凝視したら勝機をつかめず負けるというなら、かのソフトバンクホークスの盗塁上手の周東選手が、「走るときにピッチャーの動きは注目しない。風景の一部のようにぼんやり見るようにしている」と言っているのは、まったく理にかなっているのだな(笑)。
などなどなど、あげればきりがないんですけど、毎日ちびちび書いて行くことにします。
写真は、がらくたの中から出てきた、ひびの入った古い器。水に浮かべるキャンドル用にちょうどいいので愛用してます。(つづく)