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「球形の砂漠」を読んで思っちゃうこと。

◇仏間で毎朝、線香が燃えつきるまでの時間つぶしに読んでる「アルトゥーロの島」は、主人公がちょっと大人になって、またどんどん面白くなった。継母との葛藤は、ときどき笑いたいほどおかしくもあるのだが、双方かわいくて好感が持てる。そして、ここに来て、島や海岸や海の描写が、目もくらむほどすさまじく美しい。強力な個性と愛すべき精神を持つ登場人物たちの人間模様と、こきまぜになるから、ひときわ美しいのかもしれないが。

「球形の荒野」も、ゆうべ一気読みしてしまった。タイトルの意味も明確で、京都や奈良の描写ももみごとで、もちろんスケールも大きく、すっかり楽しめた。
そのわりには読んでいて、しょうもないことが気になるのだが、探偵役みたいな新聞記者と言い、ヒロインの女性たちと言い、いろんなことをいろんな人と取材したり情報交換したり調査したりするときに、「ここで、この人に言ってはいけないこと、言った方がいいこと」の取捨選択がみごとすぎるよなあ。都合がよすぎるとも言う(笑)。

山ほど貴重で重要な情報を、それぞれ皆が持ってるわけですよ。でも、考慮してか偶然か、結果としてまずいことを誰もが言わない。決して口をすべらせない。
もちろん、調査される、疑われる方の、その秘密主義、壁の厚さが、話の一つの要素でもあるんですが、それとは別に職業人一般人のすべてが、本当に「これは今言うことではない」とか「それは言う必要がない」とか思って口を閉ざしてる。しかもですよ、それが全部うまく行くのよな。「あー、あれをあの時、あの人に言ってれば」とか「あー、あれを言ったのがまずかった」ってのが、ほんとにひとつもない。そこはちょっと、非現実的すぎるかもしれない。まあ、すべてのきっかけで、ひきがねになる、いらんこと署名した人のうかつさだけが、唯一の例外なわけですが(笑)。

◇読んでいてずっと、そこがむずむず落ちつかなかったのは、自分自身も含めてですが、私の周囲の人って、とても絶対こうじゃない。「え、それ言った結果をあんた予想してる!?」「セキュリティ感覚皆無じゃん、あんたバカなんじゃないの!?」みたいなことが、わりとしょっちゅう、よく起こる。
中には「ほら、こんなこと口止めしてても、結局ひろがって行くじゃない?」などと公言する人もいて、私はそういう人とは、それこそ口には出さなくても即時完璧に国交断絶して交際を断ちます。むろん表面的なおつきあいはちゃんとしますが、絶対にまともな話相手にはしない。

そこまで確信犯じゃなくても、うっかりなのかうかつなのか、まるで口にも指にもけつの穴にもしまりがなくて、情報をたれながしてしまう人が、今は普通に棲息してる。ひょっとして「球形の荒野」の時代は、そうでもなかったのかしらん。一応の知識人や、良識ある家庭の人は、このような判断力や抑制力を、自然と身につけていたのかしらん。
そう言えば、おしゃべりでおせっかいだった叔母でさえ、家族や職業や個人的なことについては、ほんとに口が堅かった。母はこれまた、いっしょに情報活動しても何の心配もないぐらい、私は仲間として同志として信頼できた。祖父も祖母も、そういう点では普通に秘密主義だった。家族のことも友人のことも、決して人に語らなかった。べらべら話したり書いたりしている私だが、これでも言ってることよりは言ってないことの方がはるかに多く、口にする時は、結果と効果をそれなりに計算してからにしている。いやーもう、そんなのあたりまえだろう。

職場や学校では今思うと、これはもう差別とでも何とでもいわば言え、男性は大嫌いでアホなやつでも、そういう秘密や機密の取り扱いについては、だいたい私と同じ感覚で違和感を感じたことはなかった。「よせーっ!」と叫びたいほどの機密事項ばらしを、公私ともに、へらっとしてしまうのは、知ってる限り皆女性だった。
私はどうせこれは、女性が社会的に差別され、公の仕事とかする機会がないからだろうと思うことにしていたが、どうやらその通りで、最近はどうなったかというと、男性でもそういう不用心で口にしまりのない人がものすごく多くなった気がする(笑)。

◇私は一時期、防衛策と言うよりは、単なる好奇心の悪趣味から、複数の友人知人に、それぞれ別の秘密事項や機密案件をバラしておいて、どれが世間に広まるかで、誰のそういう感覚が薄いかゆるいか確かめてみていたことがある。本当にいい趣味ではないから早々にやめたが、やめた理由の一つは、そんなことしても意外な結果はひとつも出ないで、あまり発見もなかったことだ。しっかりしていると思った人に話した機密は決して永遠にどんなかたちでも流出することはなかったし、こいつどうせ言わずにおれんだろうなと思ったやつに話した秘密は、たちまちあっさり暴露された。意外だったと言えば、罪の意識さえもなく、堂々とあっけらかんと何の罪悪感も警戒心もなく公開されて、私との関係がどうなるかさえ、当人まったく気にしてなかった、その無神経さと鈍感さが、こっちの想像を絶していたことぐらいである(笑)。

言っておくが、多分死ぬまでつきあうだろうと思っている腐れ縁の親友たちにも、男女を問わずこういう人はそこそこいるので、その一点だけで、私が相手を見限るようなことはない。どうせ私にも似たような欠点は数多くあるだろうし。
ただ話を元に戻すと、「球形の荒野」の登場人物たちの、このようなたしなみのよさ、センスのよさが、非現実的なのかそうでないのかさえ、今の時代の私には、もう判断できなくなっているということだ。

◇今日は朝から雨。水をまかないですむのがありがたいだけでなく、家の回りに結界ができて、部屋が別世界になったような閉ざされた快感がある。今から紅茶でも入れて、ケーキでも食べるかな。DVDで見ていた「ホームズ&ワトスン エレメンタリー」の第二シーズン、マイクロフトがバカすぎて、つまらなくて見るのやめようかと思ってたが、さすがにそれほどバカではなかった。とは言え、自分をあれだけバカに見せかけて、ばれずにすむと思うのもまたバカなのではと思ったり、それを見抜けないシャーロックもバカすぎないかと思ったり、イライラがまったく消えたわけではない。

◇唯川恵「手のひらの砂漠」についても、書きたいことはいろいろあるが、まあまたにする。カツジ猫は、少し秋色に毛色が濃くなって、ベッドの上でうたたねしている。最近いやなことされても、あまりかまなくなったのは、少しは老成してきたのかしら。

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カツジ猫