「第九地区」の感想
いや、感想というほどのものではないけれど。
面白かったです。雑なようでしっかりした筋でした。
細かいことをいうと、きりがないのですがねえ。
たとえば、異星人が漂着して、たまたまエリートが皆死んだかどうかしていなくなっていて、下っぱのやつだけが地球に住みつく、だから皆、汚くて無知で粗暴で、というのは、この映画の話の大きな基礎になっていると思いますが、まずそこで、ひっかかりました。
まちがっていて、しらけるというより、「うむ、そうかな?」と考えるヒントになるという点ではいいんですが。
ある民族や人種や種族が、こんなかたちでどこかに住みついた場合、その民族や人種の能力や素質って、どこまで均一なのでしょうか。
「劣等な部分」や「命令を受ける部下ばっかり」が、たまたま住みついたとしても、何十年もたてば、その「種」のもつ能力はちゃんと発揮されませんかね?
同じ種族でも、「劣等な部分」「命令される階層」は、そんなにいつまでも救いようなくバカなままなんだろうか。
つまり、クリストファーさんは、そういう発展をとげた異星人なのか、それとももともとエリートがまぎれこんでいたのか。
じゅうばこさんや、ゆきうさぎさんとも話すんですが、今の日本でも、世界でも、名もない、一般の、庶民の、無名の人の中に、すぐれた資質や能力のある人が散在していて、そういう人が誰にも評価されず、有名になることもなく、膨大な基部の底辺を支えてくれているからこそ、人類や世界はなんとかもってると実感することが多いんですね。
トップやエリート、カリスマ、リーダーなんて、ただの氷山の一角で、そんな人たちが世界を支えているんじゃないでしょう。
「埋もれている優秀な人材をひきあげて、活用する」という種の言い方には、傲慢もいいところだけじゃなく、世界と人類に対する無知を感じて、頭がくらくらします。埋もれてしまう場所にこそ、優秀な人材が必要で、しかも実際ちゃんといて、立派な仕事をしてるんだったら。そんな人材を皆ひきあげて、活用なんかした日には、世界の土台がかすかすのすかすかになって、あっという間に人類滅びますって。
でもきっと、上に立つ人は、むろん全部じゃないでしょうが、自分たちのいる場所でないと、人は輝かないし実力発揮できないし、無名で底辺にいる人たちは、何もしないしできないし、そこはずぶずぶのどろどろの安楽な怠惰な場所で、そういう、何も役に立つもののない泥沼の中に、自分たちの住む世界がクリスタルの塔のように、すっくと立って、世界に指令をくだしてるようなイメージもってるんだろうねえ。勘違いもいいかげんにおしよ。
で、あの異星人の、どれだけ「優秀でない部分」が地球に住んだにしても、それだけではあのように劣化しっぱなしってことはあるまい、と思う。でも、あれは多分、実際に差別されてスラムに住んでるような人たちのイメージでもあって、そこには真実の姿の反映もあると思う。じゃなぜ、宇宙船も作れた種族が、あのようになるのかということを考えてみるのも、いいのかもしれない。あっさり言ってしまうと、環境が劣化させたんだとか。
その逆に、この映画では悪の側である人間、特に軍需産業の連中の描き方にも、甘さがある気がした。異星人の武器はすごいけど、異星人しか使えないという設定が、これまた、この映画の世界の重要な基礎になってるのだが、そんな兵器会社や軍需産業が、のどから手がでるほど使いたい新種の武器を、使えないまま何十年も、異星人のDNAの人体実験かなんかばっかりやってたんじゃ、あまりに無能で無欲だろ、仕分け作業で飛ばされるぞ。
兵器使ってもうけたくて、戦争したくてたまらないやつらだったら、これだけの時間があったら絶対に、異星人をそのまま傭兵にして兵器を使わせるやり方を、模索し開発するだろう。彼らの条件を改善し、大切に扱い、飼いならして生きた兵器にするだろう。こんな戦争と兵器しか頭にないやつらの目から見たら、異星人なんて、兵器をあやつる腕の延長の道具でしかないはずなんだから。
もちろんそうやって彼らに武器をあたえたら、反乱がおきるとか、そういう危険もあるわけだが、そんな先のことまるで考えないのが、こういう人たちの特徴でもある。原発の開発だって地雷の使用だって、その通り。だから絶対、やらずにはいられないはず。異星人の傭兵化を。それこそ、「今の環境から引きあげて、能力を活用してやろう」と思うはず。その誘惑に勝てるはずない。だから、この映画の悪役たちは、私にはかなりバカに見えたし、あまり欲がなさそうに見えた。
人権団体や、現地のギャングの役割もちょっと気になったが、それはまたにしよう。
まあしかし、こういうことで、いちゃもんをつけてもしかたがない映画であり、いちゃもんつけられるのが楽しい映画でもある。