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「Bの戦場」と黄表紙。

◇昼寝し過ぎて眠れないし、仕事をするには疲れているし、本当に今年の夏は始末が悪い。
本屋で欠けていた「Bの戦場」の三巻が届いたので、取ってきて、また一気読みした。四巻を先に読んでいたけど、別に困らず面白く読めた。

映画はやっぱり見に行くつもりになれないのだけど、その一つは、テレビを見ていてもよくわかるが、日本のメディアでは、まあ世間でもそうだろうけど、女性差別ともからまって、美という概念は真剣にていねいに考えられていない。もし、客観的に絶対的に、美しいとか醜いとかいうことがある程度存在するとしたら、今度は障碍者や貧困家庭や、そういうものに対する意識もそうだが、そういう弱者や、いわゆる負け組という存在に対して、どうふるまうか、どう接するか、そういうエチケットやマナーや、スマートさやお洒落さみたいなものも、磨かれていない。

結局、品のない低級なドタバタ喜劇でしか処理できないし、それを逆手にとって利用している女優さんやタレントも含めて、私にはだいたい見ていて退屈だし不愉快だ。
そのセンスをこびりつかせたまま、これだけ危険でスマートな小説を映画化したら、ろくなことになるわけがない。そういう点で、日本の映画界や芸能界の人間観、女性観、美的感覚を、私はまったく信用できない。

◇ただ、そういうことを考えていて、ついでに思い当たったが、じゃこれを外国で映画化したらうまく行くかというと、そもそも映画どころか原作の小説でも、この作品は、外国(欧米だけでなく、中東とかアフリカとかも)では理解できないんじゃないだろうか。
この小説が死ぬほどおかしく面白いのは、単に私的な好みとかだけじゃなく、公的社会のすみずみでまで、女性が美醜で判断評価され、徹底的にランク付けされることを、女性たち自身でさえ受け入れて抵抗できない、今の日本のかなり特殊な現状があるからであって、それがここまで徹底されるほど病んでない他の国では、その面白さや痛快さや皮肉さは、きっと本当にはわからない。

他の地域、他の時代とは多分ちがう、この現状があるからこそ、成り立っている小説で、そういう点でも、江戸時代の黄表紙と共通するわよねえ。
そして、こんな救いようのない国と時代に生きてるからこそ、この小説の本当の面白さを心ゆくまで味わえるという、この幸福をついちょっと感謝したくなる私の気持ちを何としよう(笑)。

◇あらん、ますます目がさえて来ちゃったけど、どうしようかしらん。

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カツジ猫