1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 『大才子・小津久足』感想(11)

『大才子・小津久足』感想(11)

文庫めぐり

そう言えば、一般の方が江戸時代の古い本を手にしてみたい、読んでみたいと思われたとき、どうしたらいいかを、少しお伝えしておかなければ。博物館のガラス越しに見るだけではなく、実際に触れて、ながめるのも悪いものではない。

いろんな図書館や文庫では、貴重書などはとにかく、普通の和書だったら閲覧できるところも多いと思う。そのときの古い本の扱い方だが、要するに、本を汚さないよう、傷めないようにしましょうということで、具体的には以下のようなことが基本。

○めくる時は、本の横(小口)に指をかけてめくる。ページの表面にはふれない。

○メモはすべて鉛筆でとる。ボールペン、シャープペンシル(ボールペンと似ていて誤解されやすい)、万年筆、筆、サインペンなどは筆箱から出すのもやめておく。

○開いた本の上にものをのせない。開いた本を重ねない

○巻物は軸をつまんで巻かない。見るところだけ移動させながら見て、一度に長く広げない。

あとは、その文庫や図書館の規則や注意書きをよく読んで、従って下さい。もし注意を受けたら、子羊のようにすなおに従って下さい。もし超えらい先生などと同行して、その先生が上記のルールを守らない本の扱い方をしていても決して「あれでいいんだ」とか思わないで下さい。そういう熟練した大家には、それなりの判断基準と鑑識眼があって、その上でそういうことをしておられるのだから、初心者がまねをするものではありません。ひたすら愚直に基本のルールを守って下さい。

しみじみと、心配に

久足は、「しなくてもいい読書をして、読むとつぎつぎ興味が広がり、新しい本を求めてしまって、何の因果でこうなるのか」「でも遊女とかに入れあげるよりいいと思う」「儲けは考えていない。本の蒐集にはもうけは度外視する」(すみません、どれも、めっちゃ意訳です。菱岡氏が的確に引用している久足の書簡の、これにあたる文章、ぜひナマで読んでいただきたい)とか、本好き、収集癖について、いろんなことを書いていて、彼の意識や好みが手でさわるように、よく伝わる。

実際には菱岡氏も指摘するように、この膨大な蔵書は後に売却されることで小津家の存続を支えるのだから、財産を築いていたような部分もあるのだが、久足は、はまりすぎないよう、程を守るように自戒しながらも、ある程度は利益を無視して、書画蒐集に埋没する自分を許していたように見える。
 この冷静で健全なコントロールも、彼のたくましさを示すのだろう。そう言えば、あれだけ節制を説き続けて実践した貝原益軒も、ついつい旅行に出かけて楽しんだことが日記からうかがわれたことがあった。彼らのような人たちは、節制を説き倹約を心がけても、そのことにはまりすぎて本来の生き方をつまらなくするような、節制マニア倹約中毒の泥沼には溺れないのだ。豊かな感受性や欲望を自分の中で育てて自由に飼いならすことを、忘れないし、そのバランスを失わない。そもそもが、多分もともと普通の水準以上の豊かな感受性や美意識を持っている人たちでもあるのだ。

それに誘発されるのだろうか、久足のその節度ある耽溺ぶりを見ていると、私にもひとりでに、あふれる本の山に囲まれた幸福感を味わった思い出の数々がよみがえってくる。お引越しの手伝いに行って、業者のおじさんから「あんたはすごい」と力仕事をほめられたほどに重いダンボールを運び続けた中村幸彦先生のお家は、家の中に本があるのか本の中に家があるのかわからなくなるほどのすごさだったし、今井源衛先生が楽しそうに見せて下さった書庫の建物、私がさしあげた猫が自由に出入りして、猫が苦手な学生の足にまつわって困らせたらしい中野三敏先生の書庫、日田の廣瀬家に調査に行ったときの銀行のような空気調整装置がついていた巨大な書庫、学生たちといっしょに資料整理に訪れた、もっと規模は小さいが魅力的な蔵書を有していた施設の数々、皆それなりになつかしい。

そこにたどりつくまでのことも、あれこれと。青函連絡船に乗り、時刻表と首っ引きで綱渡りのようにして限られた時間で全国各地を駆け回り、少しの時間も節約しようと開館時間直前には図書館前に立っておくためしらじら明けの夜行列車から下りた朝の駅。名所も観光地も全部スルーして、ただ図書館から図書館の最短距離を移動して、目的の本を探して目の前にしたときの胸のとどろき。厳しい規則の文庫で緊張しながら閲覧したこと。

けれど、そういう思い出を限りなく呼び起こす内に、それは、菱岡氏のこの本を読んだからでもあるのだが、ふと浮かび上がる不安がある。

おそらく菱岡君自身はもっと合理的な書籍や資料の蒐集をしているだろうし、他の研究者も今の時代では中村先生たちのような、膨大な和書を蒐集所蔵管理している人は、そうそうはいまい。これからはもっと少なくなるだろう。時間的にも金銭的にも、研究者や大学や研究機関にそんな余裕はとてもあるまい。

誰が本を集めるのか

久足やその仲間の蔵書家たちが行ったような本の保存や管理や拡散や増刷を、これからは誰がいったいになうのだろう。和書に限らず、膨大なこういった知的遺産を血や肉の通った生命体として日本に地球に息づかせつづける役割を、これからは誰が果たすのだろう。

国立国会図書館がひとつあればいいというものではない。本は思いがけないことで突然失われもする。曽野綾子氏がいつか週刊誌で書いておられた、ものすごい蔵書を有したアレクサンドリアの図書館(映画「アレキサンダー」に出てきたあれかしら)は、あとかたもなく焼けてしまい、当時の資料はどっかの剥製のワニのつめものになってた文書類しか残ってないとかいう話は、いつでもどこでも起こりうる。私自身、親切な知人が私に無断で書庫を整理して叔父の代から保存されていた和書をはじめ、貴重な書籍や資料をがっさりゴミ業者に出されたという、もう笑うしかないような体験を持つ。家が焼けて蔵書が壊滅した知人もいた。地震も津波もいつ起こるかわからない。あらゆる場所で、いろんなかたちで、本は保管されておくべきだ。

しかし今、ゴミ処理場に行くと、立派な本や全集が束でくくられ捨てられている。多くの図書館では、研究者の蔵書の引き取りにも難色を示す。管理し保管する場所と人手が足りないのだ。
 戦争もまた大々的に、こういった蔵書を破壊する。爆撃で壊滅した図書館の話は最近ではよく本にもなっている。私が広島藩士の若者が記した魅力的な紀行「筑紫道草」を調査したとき、作者に関する資料は原爆でことごとく失われていた。この本自体は三原図書館に保管されていて、だから残っていたのかもしれない。
 六大学野球のファンだった私の母は、九十八歳で死ぬまで、戦死した野球選手の名を数え上げては「あの人たちが死んだというだけでも戦争は許せない」と言っていた。大きな声では言えないが、東北の震災のとき、その方面に知人がいなかったせいもあって、私がとっさに何よりも気になったのは「東北大の狩野文庫は無事だったのか?」ということだった。母の野球選手たちへの思いではないが、日本の、世界の書籍のことを考えるだけでも、私はあらゆる戦争と暴力に絶対反対したくなる。

だが、もしかしたら、戦争以上に恐ろしいのは、平和の中でじわじわと、まだ十分に読める本がゴミに出され、大学でも個人でも、蔵書に金と時間をかける意識や環境が衰微壊滅しつつあることなのかもしれない。

久足たちや中野三敏先生たちとの交流を見ても、この方面に大きな役割を果たしてきたことがわかる古書店の状態は今どうなのだろうか。かなり以前のことになるが、神保町の古書店街に久しぶりに行ったとき、いくつもの店がスポーツ用品の店に変わっていて、愕然としたことがある。あの流れは今は少しはとまっているのだろうか。それにしても、大学を初め、それらの古書店を支える購買層がこれから確保されて行くのだろうか。たとえば久足にあたるような裕福な企業が、そのような方向をめざしてくれることは、今の社会に望めるのだろうか。菱岡君のこの本は、そういう意味では、古書店の方々にも、ぜひ読んでいただきたい気がする。

私のいた大学の図書館でさえ、一時期、「収容スペースがないから、重複したり不要と思われる本は焼却する」という方針が決まりそうになったことがある。「華氏451度」の映画のように焼かれる本と一緒に死ぬ老女のようになりたいとまで一瞬私はとり乱した。幸いその方針は変更されたが、大学でさえ、そのような判断を示しかねない世の中だ。電子書籍にしてしまえという声もしきりに上がるが、まだ歴史も浅いものに、そうあっさりと切り替えるのはあまりにも慎重を欠くだろう。ついでに言うと、今井源衛先生もどこかで書いておられたが、平安朝の美しい短冊に散らし書きに筆で書かれた和歌は、平板な活字で読むのとはまるで印象が異なる別物で、紙の本をなくしてしまうのは、それと共通する要素もある。

前に書いたように、資料を探して全国の大学や文庫を走り回っていたころ、ある大学の古書を所蔵する建物で、所定の手続きをしたら、何と「どうぞ書庫に下りて、ご自分で探してきて下さい」と言われたことがある。
 ほんとにいいのかと半信半疑で、業務用のエレベーターで私は地下に下りた。そういう図書館や書庫に入るのは初めてではなかったが、知らないよその大学の図書館で、見渡す限り広がる膨大な和書の山の中に立つと、ここで何百年も人に読まれることのないまま、静かに眠っている本たちの魂に触れる気がした。「見ておいで、あなたたちのいくつかを、きっとひと目にふれさせて、皆が読むようにするから」と、私は息を吸いながら、薄暗がりに向かって宣言した。
 だが、私は勝手にそんな感傷にひたっていたけれど、あれは結局、その大学でも書籍を管理する人員が足りなくなっていたのだろう。

それでいったい何をする?

中野三敏先生は晩年、精力的に欧米の大学の図書館を訪問されていた。アメリカでもイギリスでも、それらの図書館には日本から持ち出された多くの貴重な古い和書が大量に大切に保管されていたのだ。(今井源衛先生と訪れた、韓国の図書館もそうだった。これは日本がおいていったのだが。)
 それはまだしも、中野先生からうかがって驚いたのは、現代の国文学の研究書でも、日本の図書館より完全に新刊本まで完備されているということだった。雀の涙のような予算で、高価な専門書の中からどれを図書館に購入しようかと毎年頭をひねっていた私たちには考えられない予算の潤沢さだったのだろう。

大学の諸設備や環境については中野先生は「もう比べものにさえならない。参考にさえならない。追いつけるはずがない」というようなことを言われて、多くを語ろうとされなかった。学生にも教員にも研究にも、古典にも外国文学にも、惜しみなく予算をつぎこむ政府と社会の精神が、それだけのものを育て、それだけの差をつけたのだ。

私は「レポートを書く前に」でも書いたが、科学をいくら発達させ、ロケットを飛ばし寿命を伸ばして世の中を快適に便利にしても、そうやって獲得した時間や空間で何をするかと言えば、結局、文学だの芸術だの哲学だのと、一見無駄で役に立たないものを楽しんだり味わったりするしかなくなるわけで、そういう方面や分野に金をかけ時間をかけて育てておかなければ、豪奢をきわめた大邸宅でなすこともなく退屈するしかなくなるような人生しか得られない。

日本の首相が最近イギリス(ギッシング「ヘンリ・ライクロフトの私記」という、平和な田園での読書生活の至福を描いた小説を生んだ国だ)を訪問して、戦時協力の約束をしてきたようだが、せっかくなら、中野先生が「日本とは比べものにならず、参考にさえならない」というほど圧倒された大学のあり方を見学して、日本の知的環境をどう保障したらいいかという平時協力の相談をしてくればよかったのに。他国の図書館を破壊し蔵書を灰燼に帰すミサイルの相談はいらんから。

ここ数日、そんなことをずっと考え続けている。

Twitter Facebook
カツジ猫