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『大才子・小津久足』感想(3)

商人魂

小津久足という人が、どのくらい有名かというと難しいけど、一般の人にとっては、芭蕉や馬琴や近松などに比べたらそれは全然有名ではないだろう。
 最近では乗代雄介氏が『皆のあらばしり』というミステリ小説でとりあげておられた。私はすごくうれしかったし、このミステリ小説の主人公の謎の男と高校生が、どちらも何だか久足の化身のように思えて、とても楽しんで読み、いったいこんな歴史や教養を骨格にしたミステリって他にもあるのだろうか、それともこれが特別なのだろうかなどと考えている内に、感想も紹介もブログにアップするヒマがなかったのが今もくやしいし、申し訳ない。この本の帯に乗代氏は「多岐亡羊を恐れぬ男が残した四つの名は、本書によって『みちしるべ』となる」という的確で格調高い推薦文を寄せて下さっている。

ミステリ小説の題材になるぐらい有名になったのか、と勝手に一人で私はしみじみしていたが、このくらいではまだまだ知らない人も多いだろう。
 研究者の世界では、彼はまず滝沢馬琴の年若い友人であり、膨大な蔵書家でもあるということで知られてはいた。彼自身の文学者としての業績は、私が紀行文研究の果てに、「江戸時代最大、最高、最終の到達点としてのすぐれた紀行文学の作者」と断言するまで、ほぼ注目も評価もされてなかったと言っていい。もちろん地道に彼のことを研究しておられた研究者はおられたけれど。

私はその確信にゆらぎはなかったものの、紀行文作家も多い中で、彼についての調査や研究はなかなかする余裕がなかった。中村幸彦先生が「何でもわかるようになって下さい」と言われたような徹底的な作業をして、久足の全体像をつかみとろうとしたのは、この本の著者の菱岡君で、久足に関する知識では、今は多分誰にも負けないだろう。従来の蔵書家、滝沢馬琴の友人という定義、それに私がつけ加えた紀行作家としての業績に加えて、菱岡君は、久足が力を注いだ和歌という方面、さらに伊勢の商人として干鰯(ほしか)問屋を経営した方面について、手抜きをしないで惜しみなく調べて語ってくれている。

私が読んでまず笑い転げたのは、冒頭の一章が江戸時代における鰯の流通についての考察だったことで、久足の個人的生活を紹介するのに、その経営者としての面を当時の社会の経済事情からとことん詳しく細かく説明して行くのが、ごまかしも逃げもなくて、さすがである。
紀行文しか読まなかった私は、久足のこういう方面はむろんほとんど知らない。しかし、紀行を読んでいただけでも、彼の現実的で合理的で楽観的で、ヒステリックな脆弱さのまったくない落ち着き払って安定した自己肯定ぶりは、ちょっとあきれるぐらい、あちこちで感じた。「すごい自信と安定ぶりだね」「どこからこんなの生まれるんだろう」と、菱岡君ともよく話して笑っていたぐらいだ。

その自信は、彼の商売人として立派に社会生活を営んでいたことに起因するものだったかもしれないことが、この本を読んで、あらためて理解できた。芸術家や道徳家として生きるのではなく、商売人としての立場や位置を完全に彼は意識して把握しており、それに基づいて芸術も倫理も楽しみ守るのだから、ぶれも懊悩も罪悪感もない。この憎たらしいほどの堂々たる自己肯定と現実肯定は、吹き出しながらも快いぐらいで、そういう人柄が、菱岡氏の穏やかで冷静な説明から、ひとりでに浮かび上がってくる。いちいちの引用はしないが、ぜひ本文を読んでもらいたい。

論文や本を書くとき、「誰に読んでもらうか」ということを、めやすにする研究者は多い。菱岡君はもしかしたら、久足に読んでもらうことをどこかで意識しながら書いたのかもしれない。だって、これは多分、久足が一番喜びそうな構成だ。自分が立派に経営し、心の拠り所でもあった、店の経営、取り引きの苦労。自分が守り抜いた一族の家と店。それをまず最初に紹介してくれたことに、久足はきっと満足するはずだ。

生で味わえ

文学史の授業で学生たちの眠気をさますのに、私はときどき、次のような問いを投げかける。「古代、中世、近世、近代、現代、という時代区分に、不安になったことある人いない? だって、これから人類の歴史がずっと続いてったら、現代はどんどん伸びて、いつまでも続くことになるけど、そのときは、どんな名前をつけるのよ?」と。どうかするとキリスト教やら仏教やらの終末思想とも関わって、「ねえ、人類や地球って、ずっと続くと思う、そうでもないと思う?」と問いかけることもある。(「江戸文学史やわ」の最初に、時代区分について少し書いてある。)

その話も長くなるのでカットして、その続きで、こういう説明もする。

「西欧の時代区分じゃ古代奴隷制社会、中世封建社会、近代市民社会、となるのだけど、日本はそれにあてはめると、江戸時代あたりが、封建社会ではあるけど、平和な中で商人が力を持ってブルジョアジーが実権をにぎる近代社会の要素も強いの。だから過渡期って意味で、『近世』という時代を作ってる」

「享保、寛政、天保、って幕府は江戸時代に三つの改革をして、これは文学の流れとも関わるけど、要するにその改革の方向は、質素にしましょう、昔に戻りましょう、金に支配されないようにしましょう、ってことで、平和で戦争もなくて、武士は刀は指してるけど、戦う機会はなく、皆、公務員をしてるわけ。そういう中では自然に世の中華美にはなるし、金を持ってる商人の力が増して行く。くいとめようとするのが無理。だから、三つの改革はあとになるほど成功しない。だって、時代の流れだもんね。とめようなんて無理なのよ」

だが、こんな風にまとめて語って、覚えてもらっても、また、数字や資料でそのことをいくら証明しても、なおリアルにつかむのは難しい。そういう点でも私はぜひ、小津久足という一人の商人を知ることで、江戸時代後期のいわばブルジョアジーの、自信と活気にあふれた、ものの考え方、身の処し方を手触りで、生で、感じ取ってもらいたいのだ。そうやってこそ、江戸時代も過去も、今の私たちにつながる。いたずらな拒絶でも崇拝でもなく、私たちは今を生きるための何かを、そこから学べるかもしれない。

次回は、久足の和歌や紀行について書かれた第二章にふれる。ここもまた、めちゃくちゃ刺激的で知識や情報の宝の山だ。よくもこれだけ豊富な資料をつめこんだと思うし、私の癖のある文章とちがって、落着いて冷静な菱岡君の文章は、それらをよく整理して、読みやすくしてくれている。

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カツジ猫