ああ、チューリップ(泣)
甲斐性のないわたくしめが、雑草をとれないでいるうちに、チューリップ畑がこんなんなってしまいました。くやしい。反省。
ここ、去年は陽当りのいい特等席の一角だったんですけどねえ。周囲のラベンダーやなんかが伸び広がってしまって、結局日陰の草むらになっちゃって、気づいたらこんなことに。
かろうじて一本だけのびた花がこれです。他はもうどうしようもないなあ。一応雑草はとったけど、寝たままにしとくしかないか。もう切ってしまって部屋に飾るか、腹いせに球根買って新しくどこかに植え直しておくか。
中庭入り口のフリージアは一応満開で、ほのかに甘い香りもしているし、奥庭では今年最初のバラがひっそり葉陰に咲きました。やっぱり、きれいです。
先日の朝のラジオで、オレオレ詐欺が巧妙化しているという話をしていました。歌手の伍代夏子さんらが、防止協会みたいなのを作ってがんばってるんだとか。
中心の大物はなかなか捕まらず、下っぱの連中はお金その他でせっぱつまって縛られていて、嘘をつくのも人をだますのも、もう神経が麻痺していて、悪いと思う感覚がなくなってる、という話を聞いていて、トランプやらプーチンやら岸田首相やら故アベ氏やら高市氏やら、鮮やかに思い浮かんでしまう顔が多すぎて、二度寝したくなりました。
トランプやプーチンのせりふを信じる人は、まあ日本にはあまりいないでしょうが(それも考えようでは一方的な情報の洪水のせいで、ちょっとよしあしかもしれんけど)、ここのところの日本政府の要人のしらしらぬけぬけの嘘っぱちぶりは、ツイッターでせいぜい記事を紹介もしていますが、最近もう、底抜けのたがはずれで、いちいち指摘をしているだけでもきりがないほどです。民主主義国家、近代国家の末路をまざまざと目の前に見ている思いです。えーい、県議会議員の期日前投票に行って、早いとこ、ふくち幸子さんに投票してくっかな。ハチドリの一杯水でも、何もせんよりはましだろう。
「ハチドリのひとしずく」は坂本龍一さんも好きなお話だったそうで、読むと、ときに嗚咽がおさえきれないと言っておられたとか。
ちなみに私は、ハチドリの話は大人になってから知ったのですが、むしろ似た話で記憶しているのは、子どものころ愛読した「ドリトル先生の郵便局」です。
沼地の大亀ドロンコのために、先生が新しく乾いた土地の島を作ってやろうとして、依頼された世界の鳥の大群が、くちばしに砂や石や泥を運んで来るのです。空が暗くなるほど引きも切らずに次々やってきて落とし続け、ついに立派な島ができる場面を、数ページにわたって生き生き細々と描いていて、それがもう、忘れられない。ぼちゃんぼちゃんから、さーっと変わって行く砂の音までまだ耳によみがえるよう。力強く、血湧き肉躍る(笑)大好きな場面でした。島ができたのを見たドロンコが「今こそおごるシェルパ(当時の皇帝)は水に埋もれた。あの島はシェルパの墓だ」「しかし亀のドロンコはまだ生きている!」とおごそかに宣言することばまで、おぼろげにまだ覚えている。
あれが目にも身体にもしみついている私は、こういうことは成功するものだという先入感と楽観主義が、昔も今も全然ゆらがないのですよねえ(笑)。
うー、がまんできないで、この夜中に書庫に行き、ぼろぼろの「ドリトル先生の郵便局」を見つけてきて、コピーしました。ふわーん、文章も何とか皆さん見られないかな、すごくいいんですが。本はまだ買えますから、できたらぜひ、ご購入を(笑)。
なお、この文章の中に出てくる「スキマー」は渡り鳥のリーダーのツバメで「韋駄天」の愛称を持ち、スピードの世界記録保持者です。ロンドン雀のチープサイドと並んで、私の大好きなキャラでした。今でもです。