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あっと言う間に八月も半ば過ぎですね

※母が私の仕事場に近い老人ホームに入って三週間が経とうとして居ます。諸々の手続きもほぼ終わり此の週末にはデイサービスも受けられる様に成りそうです。
母も次第に落ち着いて新しい生活が概ね気に入って居る様で一安心ですが、其れに伴って又、苛立つ事も増えました。

以前の様に片道三時間かけて実家との往復をしなくて良く成った分、私も本当に助かって居るので、ほぼ毎日母に会いに行って話をしたり散歩をしたり、洗濯や掃除をしてやって居ます。其れは全く苦にならない所か、楽しい位なのですが、困るのは母が少し元気になった分、ヘルパーさんをナースコールで呼ばないで、おぼつかない足取りでトイレに行ったりする事です。「歩行訓練をして、ちゃんと歩ける様に成ってからでないと、万一部屋で転んで骨折でもして病院に入る事に成ったら、もう今度こそ私も助けない」と言って居るのですが、効果は有りません。

ナースコールでヘルパーさんを呼ぶのが悪いと思うのか、トイレの介助を私にさせようとし、夜が寒い等と私に訴えます。「其れは全部ヘルパーさんに言って。何でもしてくれるし、其の為の御金も払って居るのだから」と幾ら言っても駄目です。
母は今の施設のヘルパーさんが大変気に入って居るし、風呂やトイレの介助でも恥ずかしいと思って居る訳では有りません。其れは見て居て分ります。

私がとても腹立たしく、そして此れは以前から母にも叔母にも有った傾向で、一般の高齢者にも共通する傾向と思うのですが、施設の職員であれ、御近所の人であれ、親切にして貰って気に入って居ると、母や叔母の様な高齢者は、そういう人を大事にし温存し大切にしようとするのです。
其の代わり「家族は只で幾らでも使える」と感じて居るのです。「使わなければ損」と思い「使っても減らない」と思い、そうする事で家族との繋がりを確認しようとするのです。

既に叔母の晩年に私は疲れ切って叔母の家に行き、一緒に家事をする度に、其れなりに裕福な叔母が御手伝いさんを雇って家事をして貰って私は訪れたら御茶でも淹れて貰って叔母とゆっくり話でも出来たら、もっと再々来れるのにと何時も思った事でした。
今の母の発想も叔母と同じで、私が訪れて側に座って話をし楽しい時間を過ごすのに加えて、私に身の回りの介助一切をさせて、ヘルパーさんには迷惑をかけまいと思って居るのが良く分ります。

此れは母や叔母を笑える話では有りません。此処でも何度も私が嘆いた介護保険のルール・・・「家人が同居して居たらヘルパーを派遣して掃除や料理をする事は出来ない」と言う規則も全く其の発想です。「家人が帰省して居て老親とテレビを見て笑って居る足元で掃除をするのは納得できない」と言うヘルパーさんの訴えも何処かで読みました。

此れは何処か根本的に間違って居ると思います。「親と並んで座ってテレビを見て笑う」と言う行為も充分に介護で、敢て言うなら労働です。介護保険も母も叔母も、其の発想が持てないのです。
今の母の場合、私は先を考えたら目の前が暗く成りそうな入居費を毎月支払って居ます。其の中には母の生活全般への介助も当然含まれて居ます。けれども母は其れが理解できず、迷惑をかけまいとして、自分が転んで再起不能に成る危険を冒して自分で動こうとし、実際に其の結果トイレや下着を汚すトラブルを起こして居ます。「あなたが人に迷惑をかけまいとすると、却って迷惑をかける事に成る。遠慮なくナースコールを押して介助を頼みなさい」と幾ら言っても聞きません。(続く)

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カツジ猫