あっぱれコラライン。
「コララインとボタンの魔女」の感想?です。私がこのタイトルをずっとココラインと思いこんでたことは内緒です(笑)。
あんまりアニメを見る方でもないんですが、きれいな絵で(必ずしもかわいくはない)楽しくて面白かったです。
字幕がなかったんで、しぶしぶ吹き替えを見ました。この前テレビでタレントの辻なんとかって、痛快なぐらい何も知らないかわいい女の子が「字幕見てたら画面が全然見られない」と言っていたのは、たしかにそうだろうなーと深くうなずいたんですが、でもやっぱり字幕でも見られるようにしておいてほしいよなー。
吹き替えの声や演技もそんなに悪くはなかったけど、特に歌なんかはやっぱり、もとので聞きたいよ。
3Dは面白かったけど、別に3Dでなくてもいいなあ。300円ももったいないし。ああいう迫力ある映像は楽しくて快いけど、別にわざわざ映画でなくてもいいような気がする。
筋や設定はまあ児童文学の王道ですけど、私がひとつ「おお!」と思ったのは、(以下ネタばれあり)ボタンの目のお母さん、つまり偽お母さんが家事万能で料理がうまいってこと。
あはは。これって昔だったら(日本なら今でもそうか?)いいお母さん、本物のお母さんの持つはずの属性だよなあ、絶対に。
にせお母さんは、子どもの夢で理想で、でもそういうのが現実になると思ってたら甘いよ、危険だ!って教訓なわけで、それはもう昔からあるパターンですよね。
でも昔だったら、たとえば、ほんとのお母さんは家事や料理はしっかりやってくれるけど、外見が華やかじゃないとか、しつけが厳しいとか、ぜいたくをさせてくれないとか、そういうんだったでしょ。夢をかなえるにせお母さんは外見がきれいで、いろいろぜいたくをさせてくれて何でも買ってくれて、わがまま聞いてくれて…でも、そういう「実は悪い」お母さんのアイテムの一つに料理だの家事だのは絶対入らなかったはず。それはほんとのお母さんが死守してたはず。
なのにもう、この映画ったら、「そーゆーことをお母さんに求めてはいけない」「求めてたら、ひどい目にあう」って全力で教えてるんだよな、うーん、立派。
もちろん原作があるんでしょうから、それがもうすでにそうなんでしょうけど、それも含めて立派。感動しました。男女の役割分担についてものすごい地すべり、地崩れ現象が起こってるのを実感します。お母さんはふきげんで、料理も家事もろくにせず、パソコンで原稿打ってるのが当然なんです。なんかもう、泣けてしまう、うれしくて(笑)。
私の周囲を見ていても、現実は、日本は、まだまだなのかもしれないけど、でもつい先日の新聞にのってた若い日本の女性の弁護士かなんかの人の「主人は人権問題の筋金入りの闘士で、二人の家を新築した時、『台所は作らない』と言い張った。ようやく小さい台所を作った」という発言なんか見ると、同じように感無量だ。
コララインの母親は最後まで料理はしない。母親らしい優しさは娘にプレゼントをやることで、言ってみりゃ金で解決している。でもいいんだよそれで。そこでケーキなんか焼くのは、ボタンの魔女なんだから(笑)。
がんばれコラライン一家。原作の本、買っちゃおかしらん。