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あまりに先が見えないので

さち・ド・サンファル!さんが紹介して下さった動画を紹介しておきます。ゆきうさぎさんが苦にしておられた桜の鎮魂も祈りつつ。

http://girigirinanoyone.blog64.fc2.com/

タイトルは、被災地のことではなく、私の家の片づけと仕事のことです。
考えてみれば、前の「江戸の紀行文」を書いた時もそうだったのですが、まさに廃墟の中からの復興と言いたいような、ちらかったごみの中でとにもかくにも原稿を書いたのでした。
仕事は結局、こうでなければできないのかもしれないとあきらめて、体制づくりは後回し、とにかく仕事にとりかかります。

とはいえ、被災地のことは気になります。特に原発のことは。
海外旅行に行っていた友人が帰ってきたのですが、最初の予定では帰路は北欧から成田に帰ってくることになっていたのに、現地の(その北欧の国の)航空会社が乗員の安全が保障できないからと、成田か日本かに飛ぶのを断固拒否し、飛ぶ飛行機がなくなって、添乗員が必死にかみついて、探し回って、ようやくタイ経由で福岡に行く便を見つけ、それに乗って帰ったとか。あちこちで11時間、5時間と待ち時間があって、大変な時間をかけてやっと戻ってきたとのこと。

外国の感覚はそんなことになっているのだなと痛感するとともに、まあ無理もないかとも思い、放射能の恐怖はもちろん、それに対する人々の恐怖への恐怖?も再確認しました。

ただ私は、皆が政府や学者や関係方面に、指示があいまいとか、基準がはっきりしないとか、情報が明確でないとか責め立てるのは、これまた気持ちはわかるけれど、無理な注文だろうなあとも思っています。

民主党を支持しているわけでもなく、今の政府をかばう義理も気持ちも全然ないのですが、ただ単純に考えてみても、そんな基準や予測や見通しが出せるわけがないと思う、しろうとの私が考えても。

広島、長崎の原爆でも死ななかった人は多い、健康に老齢を迎えた方も多いと発言した学者もいて、きっと相当攻撃されたんでしょうが、でも、そう言うのもしかたがないと思うほど、人類が被爆や被曝やした事例は、これまで非常に少ない、幸運なことに。

広島、長崎、第五福竜丸、チェルノブイリ、スリーマイル、そのくらいでしょう、これまでのこういうことって。データがあまりに少ないでしょう、政府や専門家が何か言うには。責任もって。

「ただちに」害がないというのは、ではその内に影響が出るのか、と当然誰もが不安になるわけですが、普通に考えて今度の場合に、どこにいたら何を食べたら何をしたら、今、10年後、20年後、どうなるか、はっきり言えるわけがないでしょう。資料もないし前例もない。
無理すぎる要求するなよ、と最近テレビを見るたびに思います。私もふくめて、日本や世界の人々が、この事故で今後どういう影響を受けるか、予断は許さず、予測はできない。

医者だって科学者だって、こんな未曾有の状況に予測も見通しも出せるはずはない。もう完全にやけっぱちで言ってしまうと、あと50年か100年もたてば今の日本のこの例から、さぞ貴重で豊富なデータが得られるだろうと思いますが、何だかもう、それもなあ。

政府や私たちに必要なのは、もう正確な見通しではない。そんなもの、あるわけはないのだから。むしろ、何をめざすか、何を守るか、何を捨てるか、という姿勢や価値観でしょう。正直言って私にも、実はそれはよくわからない。でも、絶対にまちがいない、という確実な保障はもう、あきらめるしかないと思う。

それにしても、被災地の動物たちにも救いの手がのびつつある中、一番胸が痛むのは、今も原発近くで暮らすしかない動物たちです。
ネットを見てまわっていたら、その地域の動物は被曝しているから、勝手に連れ出さないようにとの注意をうながす記事もありました。
もっともなことです。でも、ペットだけでなく、その地域には野生動物もいる、鳥も魚もいる。
彼らすべてをどうするのか。気になってしかたがありません。

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カツジ猫