あらゆる意味で危険発言(かもしれない)
女人禁制関連でまた書きこみをいただいて、ありがとうございます。
直接のお答えには、きっとならないのでしょうが、最近気になっていて、書こうかどうしようかと、かなり迷っていたことを、ちょうどいいから書いてしまいましょう。(笑)
少し以前ですが、震災からしばらくして東北にボランティアに行かれた若い女性から、現地の話を聞きました。彼女および関係機関に迷惑がかからないよう、具体的なことはなるべく伏せて書くことにします。
現地に行った人ならではの話はいくらもあったのですが、その中のひとつに、避難所での男女の役割分担のことがありました。
被災時のマニュアルが各自治体で、かなり古く作られたものが多いこともあって、たとえば現地でのがれきの処理など、ある程度報酬も出る仕事があった場合、当然のこととして、男性のみがその仕事にあたるようになっていたそうです。
女性はどんな女性でも、その間、避難所で避難している人全員の食事の世話をすることになっていたということです。それは大変な作業で、しかも子どもの世話などもあって、女性たちは誰もが本当に疲れきっていたようです。
男性でもある程度の高齢者とか、避難所に残っている人もいるのですが、そういう人たちは女性の仕事を助けることもなく、テレビを見て寝ている状態だったということです。
結局、マニュアルが古いこともあったでしょうが、昔ながらの古い日本の家庭の縮図が、避難所で再現されていたわけですね。
何もしないで寝ていた男性たちにしても、女性たちのしている仕事にどう手を貸していいのかわからなかったとか、いろんな心情や状況はあるのでしょうが、聞いていて本当にため息をつくしかありませんでした。
NHKがわりと今でも被災地のことを報道してくれていて、その中には農業や漁業に携わる人々が自力で、新しく村や会社をつくって産業を再建していく過程を描くものもあり、見ていて励まされていたのですが、それでも実は前から気になっていたのは、そういう活動をしているのが、みごとに男性だけで、女性の姿の影もないことでした。
村や地域の再建が、そんな風に行われていることに、不安と疑問をずっと感じつづけていました。
震災直後、しばしば言われたのが、「壊滅した地域はこの機会に、もとのままに戻すのではなく、新しいかたちの村や産業を作ろう」という発言や考え方で、わかるけれど、ひとつまちがうと、それは現地の方々にとっては腹立たしいだろうなと感じていました。
今ではもうあまり、こういう「これを機会に」のようなことは言われなくなってきていて、そのへんがどうなっているのかはわかりません。
ですが、産業であれ地域であれ共同体であれ村であれ、以前のままか何か新しいかたちでか再生するのなら、そこには女性の視点や女性の目、女性の居場所がどうしても必要だと思うのです。
私は今、新しい家を建てていますが、そういう時によくわかるのは、窓の位置ひとつ、流し台の向きひとつにしても、生き方や考え方を左右するのです。
村や職場を再建するなら、女性の役割をどう考えるのかを抜きにしては語れません。
かりに万一、昔ながらの男性を支える食事の世話だけをする役割を女性にになわせるとしても、なら、それを最も効率的にやるにはどうしたらいいか、当の女性たちが使い勝手のいい村やしくみを作らなくてはならないはずです。
力強い復興に努力している人々の映像を見ても、特にその現地に行った女性の話を聞いてからは、もしかしたら女性は毎日食事だけ作って何も相談に加わらないまま、女性も暮し(男性を支えるというかたちにしても)生活の基盤をになう建物や街並みがどんどん作られて行っているのではないかと思うと、あまり安らぎを感じられなくなりました。
女性にとってはすごく働きにくい台所や風呂場のある家ができてしまうのではないかという心配のようなものをずっと感じます。
ましてや、女性が働くに便利な、男性と同じ仕事をするのに便利なシステムや間取りなど、望むべくもない「再建」が行われているのではないかと、それができたら、また数十年、その状態がつづくのかと思うと、ずんずん気持ちが沈みます。(続く)