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ある敗北

天気予報はこのごろよくあたる。今日も予告通り、昨日とはうってかわって、雨が降ってうすら寒い。まあ、水まきをしないですむから、よしとしよう。窓の正面、道をへだてて小さな茂みのような森があるのだが、そこの緑が美しい。
 去年植えたギガンチウムが、小さい花をつけている。花屋さんで売ってるのは大きなくすだまみたいで圧巻なのだが、うちのはまだ、いかにも小さい。カヤみたいな雑草がまじって伸びているので、刈り込んでたらまちがって二輪ほど切り落としてしまった。しかたないから、つつましくびんに入れて飾っている。もうちょっとぐらいは開くかな。このままじゃ、でかいレンゲソウじゃん。

朝のラジオで武田砂鉄さんが週刊朝日の休刊について話していた。全然知らなかったのでショックだった。子どものころからサンデー毎日と週刊朝日と文藝春秋とアサヒグラフはいつでも家の中にあって、おませな私はそれらを読んで世界のことをぼんやりつかんでいた。田舎の書庫には今もまだ、百冊以上の当時の「週刊朝日」がとってある。

荻昌弘さんの「週間試写室」にも魅了された。映画の大半は、あれを読んで見た気になっていたかもしれない。「アラビアのロレンス」「ブーベの恋人」もあの欄で知って、実際に見た後も、その文章を覚えていた。もっと後になるが、武田さんもふれていた開高健の「ずばり東京」の連載は圧巻だった。漫画がまだまったく市民権を得ておらず、認知もされていなかったころ、屋台のおやじさんにおかしなやつと警戒の目を向けられながら漫画本を読破しつづけた開高健は、その中で手塚治虫を高く評価している。私の知る限り、あれは漫画や手塚治虫を発見し評価した、最初の文章だ。歴史的に重要な記事と言っていい。

発刊から百年になるという。そんな文化的な遺産を私たちは守れなかった。くやしさと苦々しさとそして敗北感。この休刊は当然、本家の朝日新聞の衰退にもよるのだろう。政府やいわゆるネトウヨの、朝日新聞への攻撃はこの数十年すごかった。それは朝日新聞にとってはむしろ名誉で、戦う知性と文化のとりでに掲げられた旗で、正しいジャーナリズムの軌跡を刻んだ金字塔のように私の目には映っていた。
 最近の朝日新聞の政府へのおもねり、報道側としての矜持のなさ、無気力さについてはネットで多くの人たちが嘆き、失望し、離れて行っていた。何があったのか、私は知らない。あのすさまじい憎悪と攻撃が功を奏したのかと思うと、ぎりぎりと歯をくいしばりたくなる。せめて、こんな負け方はしてほしくなかった。同じことなら、どんなかたちであれ、戦い続けて滅びてほしかった。

ネトウヨや政府が勝ったとかいう気さえしない。右翼が左翼に勝ったとか、保守が革新に勝ったとかさえも思わない。そんな対立を超越して、もっと尊い、私たちが譲ってはならない手放してはならない、知性と文化と気概とが、無知と愚鈍と怠惰に負けた。そんな実感が胸に突き刺さる。このニュースが今ごろになって私が知るほどに、話題にもなっていなかったことも、心の底から寒々とする。
 こうやって何かが滅びて行く。こうやって何かが腐って行く。
 私はふみとどまれるのだろうか。この荒廃と虚無の中で。まだ何かできることがあるのだろうか。ささやかな小説で人生を問い、完成できるかも怪しい古典研究に取り組む以外に、いつ崩壊するかもわからない、身体を抱えて、それでなお。

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カツジ猫