あーあ。
◇つまらーんことで悩んでいます。
来週の日曜に北九州の書道家の方々の発表会の余興で、江戸文学の講演をしなくてはならなくて、このブログの江戸時代文学史の書棚に入れてる、馬琴と秋成の文学のちがいをとりあげた話をしようと思ってます。江戸時代の本もお見せできるし、まあ楽しんでいただけるかなあと思って。
ただ、これね、毎回授業で説明してて、妙にだんだんひっかかって来るところが一か所あるのね。別に私が悪いんじゃないけどね(笑)。
秋成に代表される安永・天明期の戯作が、その後の馬琴に代表される文化・文政の戯作に比べて、時代は古いはずなのに、むしろ近代人の感覚に近いものがあって、それは、前者が時代から突出したエリートの文学で、後者が大衆や庶民を読者として想定する分、かえって、その時代に密着した感覚な分、今の私たちとは乖離するからである、と、ここまではいい。定説との矛盾もない。
問題はそっからですよ。
それを学生に説明するのに、秋成の「雨月物語」の「白峰」と、馬琴の「椿説弓張月」に登場する崇徳院の描写をとりあげて、後者は架空の世界ながら、正義の側についていわば大衆とともにある崇徳院なのに対し、前者の崇徳院は「正義も倫理も知ったこっちゃない、私のこの恨みを絶対に晴らす」という私怨で歴史をも変えてしまう、それは近代の市民革命以来、私たちがすべての社会的通念の前提としてる感覚と共通する、つまり、国家や共同体や家族やそういうすべてにまさって、「個」としての人間の価値と権利が絶対に最大に優先される、という常識と同じ感覚に基づいている、みたいなことを毎回言うわけですが、だんだんだんだん、年を追うごとに、あ、ここは注釈がいるなあ、念を押しとかないとわかりにくいよなあ、と感じるようになってきていて…。
実際にはまだそこを、わざわざ説明したことはありません。いっくら何でも、こんなこと知的団体のはしくれである大学で確認するほど、みっともないことしたかないやい、という気分もどこかに少しはあったのかも。
◇でも、最近本当に、これってもう常識じゃなくなってるのかも?と思ってしまうことが多い。その典型があの自民党の憲法草案で、「個」という字が消えて、国だの家族だのの大切さがやたらに強調され、共同体の利益のためなら個人は少々のことは我慢しなければいけませんよ、みたいなのが全体の基調になっている。
これって、マンモス狩ってた原始時代ならともかく、今の世界の先進国と先進国になろうとしてる国とでは、絶対に通用しない常識だと思うけど、へらっとそれが公開されて、のそのそそのへんを生きて歩いてるっていうのが、ゴキブリよりももっと恐いわ。ゴキブリにも、はなはだ失礼だわ。
おまえの受けた教育と、つちかわれた常識が自虐史観の日教組の偏向教育だと言う人がいるかもしれんけど、これはそういう水準の問題じゃない。第一私は言われる前にそうじゃないかと、自分で胸に手をあてて考えてみて、恐ろしい事実に直面したけど、私はこんなの小中高の学校で習った記憶なんかまったくない。
先生はひょっとしたら教えたんでしょう、多分ね。でも私は学校時代、授業を聞いてたことが自慢じゃないけど、ほとんどないんですよ、マジで。ほんとに自慢じゃないけどね。いつも机の下でちがう本を読んでました。
だから私が、こんな常識を持っているのは、学校と関係ない、乱読雑読の読書の結果です。古典から現代文学まであらゆるジャンルの。それで自然に身に着いた感覚で、ということは多分これを否定すれば、おそらく人類の叡智のかなりの部分を無視することになり、世界が積み上げて来た約束事を根底からくつがえすことになる。
いいけどね、「近代の否定」って最近はやりだし、それも必要な面もあるから。でも、そういうことやるからには、何を相手に、どれだけのことしようとしているのかぐらいは、せめて確認して、せめて感じてからにしてほしい。フランス革命ロシア革命イギリス革命アメリカ独立戦争その他もろもろ、近代社会を築き上げるのになされたすべてを敵に回すし、その結果保障された、私たちのようなゴミクズみたいな一般庶民もちゃんと生きてていいです法律で守られますって権利も皆否定する所業ですよ。「個」を無視し、人権を軽視するということは。
◇がしかし、そういうことに触れてしまうと、じゃソ連や中国はどうなんだ、北朝鮮はどうなんだ、個人の権利や人権はたてまえとしては守られてるけど、東西南北あらゆる場所で実際には無視されたことも多くて、でもそれで、たてまえまでも捨てたらえらいことになるんですぜとか、どんどん話はふくらんで、もうそれ江戸文学の講演じゃないやんということになりかねない。
あーもういやだ、どうしてくれよう。
◇今日は映画を見に行けませんでした。仕事の帰りに紅茶の店でだらだら小説の構想とか考えていたら、夕方になってしまって、結局帰って、ぶりの照り焼きかなんか食べて「ナポレオンソロ」なんか見てたら、もうこんな時間。明日こそは上の家の片づけにはげまねば。